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ジョージ・スティーヴンス

  • George Stevens
  • 監督/製作/脚本/出演
本名
出身地 アメリカ、カリフォーニア州オークランド
生年月日 1904年12月18日
没年月日 1975年3月8日

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略歴

【西部劇や冒険活劇、人間ドラマで手腕光る】アメリカのカリフォルニア州オークランド生まれ。本名はGeorge Cooper Stevens。父がやっていた劇団で俳優とステージ・マネージャーを務め、1921年にカメラマン助手として映画界入りした。第二カメラマン、カメラマンと昇進していき、27年にハル・ローチ・スタジオに入社してローレル&ハーディの短編コメディのカメラマンとなった。30年に二巻ものの短編映画“Ladies Last”で監督デビューを果たす。30年からRKOとユニヴァーサルで仕事をするようになり、33年の“The Cohens and Kellys in Trouble”で長編映画を初監督。ローチ・スタジオで二巻もの短編を作っている頃に知り合ったキャサリン・ヘップバーンから頼まれて「乙女よ嘆くな」を監督、2年後の「偽装の女」(37)でもヘップバーンと組んだ。41年、ヘップバーンがMGMに話をつけて「女性No.1」(42)の演出をスティーヴンスに任せた。この映画でヘップバーンはスペンサー・トレイシーと初共演し、以後二人は公私ともに親密な仲になる。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演のミュージカル「有頂天時代」(36)をはじめ、バーバラ・スタンウィックが拳銃女王アニー・オークレーに扮した「愛の弾丸」(35) や、インドを舞台にしたアクション活劇「ガンガ・ディン」(39)を監督。またキャロル・ロンバード主演の「病院の一夜」(40)、アイリーン・ダンとケイリー・グラントが共演した「愛のアルバム」(41)といったロマンス映画を撮り、このジャンルの作品ならスティーヴンスという評判をとった。【西部劇「シェーン」で一時代を画す】戦時中は陸軍通信隊に所属し、第六軍の戦闘活動を記録する特別映画班の主任を務めた。戦争が終わると、映画界に復帰し、アイリーン・ダンが温めていた「ママの想い出」(48)の監督に推薦されるが、準備に半年をかけ、製作期間も予算もオーバーしてしまった。ラジオ・シティ・ミュージック・ホールでプレミア後、5週続映されるほどの人気と高い評価を得たが、300万ドルもかけたので、最終的な興行成績は芳しくなかった。以後はアカデミー賞監督賞を得た「陽のあたる場所」(51)といった文芸映画や、西部劇「シェーン」(53)を撮る。さらには、「ジャイアンツ」(56)、「アンネの日記」(59)、「偉大な生涯の物語」(65)といったワイド・スクリーンを生かしたドラマを手がけ、「ジャイアンツ」で二度目のアカデミー賞監督賞を受賞した。最後の作品となった「この愛にすべてを」(70)は、まともな公開がされず、彼を落胆させた。

キネマ旬報の記事

1962年5月号増刊 西部劇シナリオ決定版

傑作ウェスタン・シナリオ7篇:シェーン

1953年8月下旬号

作品研究 「シェーン」 ジョージ・スティーヴンス作品:

1952年8月上旬号

コンティニュイティ 陽のあたる場所: