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渋谷実

  • Minoru Shibuya
  • 監督/脚本/原作/出演
本名
出身地 東京浅草
生年月日 1907/01/02
没年月日

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略歴

【生涯寡作ペースを崩さなかった喜劇映画の巨匠】東京都生まれ。本名・片山実。中学卒業後、慶応義塾大学英文科在学中、胸を悪くして沼津へ静養に行く。30年、松竹蒲田撮影所を見学したのがきっかけで牛原虚彦監督を知り、そのまま入社。成瀬巳喜男に師事し、「髭の力」(31)から「限りなき舗道」(34)まで助監督としてつく。成瀬が去ったあとは五所平之助につき「生きとし生けるもの」(34)から「花籠の歌」(37)まで、そして小津安二郎の「淑女は何を忘れたか」(37)についた後の同年「奥様に知らすべからず」で監督デビュー。オウムを焼いて食べてしまうという喜劇は評判が良かった。同年、第二作「ママの縁談」も好評で、ついで田中絹代の正月映画「鼻唄お嬢さん」(38)を手がけ、「母と子」では、会社社長の妾の子のヒロインが力強く生きていく姿を情緒に流されずに描いて早くもキネマ旬報ベスト・テン第3位に。その後も、メロドラマ、ホームドラマ、喜劇に才人らしい腕を振るうが、次第に濃くなる戦時色は、渋谷の真価を発揮させる場を奪っていく。43年、戦時増産奨励の産業映画「激流」を依頼されるが、製作半ばで召集される。36歳の初年兵として陸軍に入隊、上海、南京、香港、広東と移動。広東では報道部となり、火野葦平と一緒だった。そして終戦。収容所生活を送った後、46年4月に帰国した。【風刺喜劇に独特の冴えを見せる】戦後すぐに松竹大船に復帰、47年、新憲法公布記念映画「情炎」を撮るが、脚本家の久板栄二郎との間にトラブルを起こす。彼流の映画つくりの方法論の対立でもあった。だからこそ、以降の一連の乾いた喜劇ともいえる、痛烈な風俗映画が生まれたのである。「てんやわんや」(50)、大映版(吉村公三郎監督)と競作となった「自由学校」(51)、「本日休診」(52)、「やっさもっさ」(53)などは混乱した戦後社会を風刺、また「現代人」(52)では戦後社会の暗黒面を熱っぽく描き、戦後の人間の精神状態に深く切り込んだ。初の時代劇「青銅の基督」(55)は、長崎奉行の拷問に耐えかねて変節した宣教師の苦悩を、「気違い部落」(57)では、閉鎖的な農村社会で村八分にあった一家の反乱を描いた。「悪女の季節」(58)、「もず」(61)、「二人だけの砦」(63)などでシリアスな世界を描く一方で、「好人好日」(61)では研究に没頭し数学以外のことにはまったく無関心という数学者をめぐる一家の騒動を微笑ましく描き、小津安二郎の死去によって宙に浮いた企画を実現した「大根と人参」(65)では、小津へのオマージュたっぷりに綴った。デビュー以来、企業監督でありながら、終始己の寡作ペースを守りつづけた巨匠であった。

キネマ旬報の記事

2004年9月上旬号

渋谷実と前田陽一:

1981年2月上旬号

追悼:渋谷実

1966年3月下旬号

巻頭グラビア 日本映画の春を呼ぶ 6監督ただいま撮影中:「仰げば尊し」の渋谷実

1965年1月上旬新年特別号

2大シナリオ:大根と人参

1964年11月下旬号

なくて七癖:8 渋谷実の巻

1964年9月下旬号

特別グラビア :七人の監督に聞く

1964年1月上旬新春特別号

次回作:モンローのような女

2大シナリオ一挙掲載:モンローのような女

1963年4月上旬春の特別号

2大シナリオ特集:二人だけの砦

1960年12月増刊号 日本映画監督特集

渋谷実:技術の文明的意味

渋谷実:渋谷実作品総目録

1960年10月上旬秋の特別号

特別グラビア 日本映画監督二十態:渋谷実

1957年6月下旬号

特集 大型映画の新らしい時代:大型映画アンケート

1957年3月下旬号

旬報論壇:「正義派」と渋谷実

1956年3月上旬号

旬報論壇:渋谷実の構想

1956年2月上旬ベスト・テン発表記念号

シナリオ:女の足あと

1955年11月上旬号

日本映画をよりよくするために:5 対談 映画芸術家とレジスタンス 桑原武夫×渋谷実

1955年6月下旬号

日本映画第一線の動き 2:渋谷実の「青銅の基督」

1955年増刊 日本映画大鑑 映画人篇

監督寸描:渋谷実

1952年10月上旬秋の特別号

映画作家としての渋谷実: