宮城県女川町。牡鹿半島の付け根にあり、サンマの水揚げで有名な水産業の町。石巻線の終着駅で、古くから天然の良港として栄えた美しい港町だった……。だが2011年3月11日、東日本大震災による津波で住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住まいを失った。被災したすべての市町村の中でも人口比では最も激烈な被害を蒙った町であったが、女川は着実に復興への道を歩み続け、今では“復興のトップランナー”と呼ばれている。実は震災後最初の希望は、中東の国カタールによってもたらされた。古くは漁業で栄えたカタールは、震災直後に基金を設立し津波対策を施した冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設。2012年10月に本格操業を開始する。町の中がまだ瓦礫の山だった頃。女川港の奥にすっくと立つ雄々しいマスカーを見たとき、町の人は「女川は本当に復興するんだ」と希望を感じたという。その後マスカーの周辺には多くの水産加工工場の建築が進み、まさに女川の水産業復興の牽引役となった。そして2015年3月21日、女川駅再開。あれから5年経った今でも寝る間を惜しんで復興にかける若きリーダーたち、その仲間が生み出す波及効果。人々の輪は町を飛び越え広がってゆく……。