1980年代のアパルトヘイト下の南アフリカで世界的アイコンとなったネルソン・マンデラの釈放作戦「平和への策略」。フランスの謎のビジネスマン“ジャック氏”ことジャン=イヴ・オリヴィエが、これまで口を閉ざしていたこの作戦について振り返る。アルジェのフランス人であるオリヴィエは17歳のとき、1962年のアルジェの独立戦争後、フランスへ脱出したころに政治に目覚めた。パリに辿りついた彼は、5ヶ月の獄中生活を送った。1981年、オリヴィエはアパルトヘイト下の南アフリカを訪れて、アルジェと同じような状況を目の当たりにする。石油ビジネスの成功により裕福となった彼は、妻子はいないが人脈は広かった。反アパルトヘイトへの精神に目覚め、パリで当時の首相ジャック・シラクに会い、南アフリカに平和を導くため、投獄されているネルソン・マンデラを解放するよう説得する。政治家が表立って行動すると失敗するので、オリヴィエは自分が秘密裏に南ア政府への和平交渉の書簡を預かり交渉するという計画を立てたが、南アのボタ大統領とのパリでの昼食会は失敗する。オリヴィエはこの計画を壊したコンゴのサスヌゲソ大統領に会い、アパルトヘイト撤廃とマンデラ解放が南アの平和につながると力説、その後も財力に任せて高いチャーター機を駆使して7ヶ月間各地を回り、様々な要人に会って根気よく交渉し続けた。アンゴラを統治するキューバのカストロ大統領という難関をクリアし、89年12月、マンデラ氏と南ア大統領デクラークとの対談が実現する。そしてブラザヴィル議定書から14ヶ月後の1990年2月2日、マンデラ氏の無条件釈放が決定する。釈放から48時間後の2月13日、マンデラ氏は国民に向けて、「新生南アフリカは人種間の憎しみを排除する、そのことを全国民に保障する」と演説した。94年に大統領になったマンデラ氏は、長らくこのフランス人の影の功績を知らなかった。後にこれを知ると、オリヴィエに国家勲章を授与した。