ナチスドイツの敗戦濃くなった頃、連合軍はパリへ進撃していた。パリでは独軍のフォン・ワルドハイム大佐(ポール・スコフィールド)は美術品の掠奪を開始していた。軍事費にあてるという名目だった。美術館長のビラール女史は仏国有鉄道の操車係長ラビッシュ(バート・ランカスター)に運び出しの阻止を哀訴、彼はパリ解放の日の近いことを知り、輸送列車の出発引き延ばしを決議した。だが、美術品は47輛列車に積まれ、ブル親爺の運転で出発することになった。彼は機関車のエンジンに仕かけをして事故を偽装するというサボタージュを冒した。彼とてレジスタンス要員として熱血漢だったのだ。それが露顕し、ブルは射殺された。大佐は今までのサボタージュに激怒し、ラビッシュにその運転を命じた。独警備兵たちは美術列車がパリを離れてドイツに近づいていると信じていた。が、一夜明けてみると列車は出発点に戻っていた。列車は一晩中パリ周辺を回っていたのだ。ラビッシュの指令で通過駅の駅名標示板が一斉に書きかえられたのだった。それは22日間ものサボタージュであった。ラビッシュの機転で機関車を爆破し、美術列車の後部にも機関車を脱線させて美術列車を立往生させた。大佐は一刻も早く国外へ運び出さねば、と部隊を総動員した。今までのレジスタンス運動で多数が傷つき、ラビッシュが独力で阻止しなければならなくなった。彼は傷つき、疲れながらパリ郊外へ先回りして線路を爆破して脱線させた。その頃、すでに敗走する独軍部隊の流れが認められた。警備兵たちは大佐を見捨てその流れにまぎれこんで行った。ラビッシュは多くの犠牲を出させた大佐に、銃弾を浴びせた。その日、パリは解放されたのだった。