社会のはぐれ者でありながら、類まれな才能を持った10代の若者たちで構成されたスケートボードの天才集団、それがボーンズ・ブリゲードだった。1980年代に活躍した彼らは、史上最も人気を集めたスケートボード・チームとして成功を収めた。その偉大さは、試合での強さだけではなく、今日のスケートビデオの原型を編み出し、広告スタイルを一新するなど、新しい時代を切り開き、“ストリート・スタイル”の土台を築いた点にある。78年、技術者ジョージ・パウエルと元人気スケートボーダーのステイシー・ペラルタが手を組んで、パウエル・ペラルタを創業。ステイシーは若いスケートボーダーたちをスカウトし、ボーンズ・ブリゲードを結成する。84年には、トニー・ホーク、ロドニー・ミューレン、スティーヴ・キャバレロ、ランス・マウンテン、トミー・ゲレロ、そしてマイク・マクギルによる史上最強のチームとなっていた。さらにステイシーは83年に低予算自主製作スケートボード・ビデオ『Bones Brigade Video Show』を発売、3万本を売り上げる。スケートボード界が困難な時期にあったこの時期、ブランドの知名度とスケートボード人気を底上げするために、ステイシーは毎年新しい『Bones Brigade Video』をプロデュース。多彩なチームメンバーの個性と新しいスケートボードの技を紹介し続けていた。これが功を奏し、80年代半ばにボーンズ・ブリゲードは世界的スターとなる。パウエル・ペラルタも87年にその頂点を迎えた。しかしながら、80年代終わりには再びスケートボードの人気が低下。パウエル・ペラルタも解散し、ステイシーはハリウッドで映画製作の道を選択する。それから20年。離れてはいるものの、今も変わらずスケートボードに携わる当時のメンバーはそれぞれに成功を収め、時代を共に築いた戦友としての結束を保っている。