映画作家、振付家、ダンサー、詩人、人類学者など、多様な活動でアンディ・ウォーホルやジョナス・メカスなどニューヨークのアーティストに影響を与えたマヤ・デレン、本名エレアノーラ・デレンコフスカヤは、1917年、キエフの裕福なユダヤ人精神科医の家に生まれた。その後、ユダヤ人迫害が激化したため、1922年、5歳のときにアメリカに移住する。大学に進学したマヤは、ジャーナリズムや政治学を専攻する。しかし、黒人舞踊家キャサリン・ダンハムと出会い、ダンスや人類学に興味を見出す。1942年、マヤは巡業中のアメリカ西海岸で、チェコから亡命していた映像作家アレクサンダー・ハミッドと出会い、結婚する。そして翌年、2人で共同監督をして「午後の網目」を制作する。ビジュアル・アート史に決定的な影響を与えた本作では主演も果たし、神秘的な容姿で人々に強烈な印象を残している。さらにこの作品は、1947年、カンヌ国際映画祭で実験部門グランプリを受賞し、彼女の評価を決定づける。その後マヤは、ブードゥー教の研究のためハイチへ旅立つ。そこで“芸術の女神”として崇められた彼女は、その成果を著作『聖なる騎士たち』にまとめる。1961年、マヤは44歳の若さで脳溢血により亡くなる。彼女の残した6本の映画と1冊の著作は、世代を越えてあらゆるアーティストに影響を与えて続けている。