朝鮮総聯の幹部として、人生のすべてを<祖国>に捧げる両親のもとで、ヤン・ヨンヒは育った。3人の兄たちは30数年前に北朝鮮に<帰国>。父は朝鮮総聯の中心メンバーとして活動を続けている。在日コリアン2世の母と結婚し、3人の息子と1人の娘をもうけた。3人の兄が、<祖国>北朝鮮に<帰国>することを知らされたのは1971年のこと。彼らは、それぞれ家庭を築き、今もピョンヤンで暮らしている。兄たちがピョンヤンに渡ってからというもの、母は日用品を段ボール箱につめて送り続けている。2001年秋。父の古希をピョンヤンで祝うことになった。兄のアパートに着いた両親とヤンは、元気いっぱいの甥や姪から歓迎を受ける。長男の息子ウンシンは、停電になってもロウソクの灯りの中でピアノを弾き続けた。盛大に行われた父の誕生日会には、全国から約100人もの参加者が集まった。マイクの前に立った父は、「革命家を育てることが自分の仕事」だと宣言する。そして自分は「まだ祖国に忠誠を尽くしきれていない」とも。日本に向かう船の上で、母はいつまでも手を振り続けた。それから3年の月日が過ぎた2004年、父が脳梗塞で倒れた……。