ライブの3日前、発案者であるコメディアンのデイヴ・シャペルは故郷のオハイオで、ライブに招待しようと、老若男女問わず道ゆく人々に、ゴールデン・チケットを配布していた。ブルックリンまでの旅費や宿泊代はすべて負担するという。ライブ前日、シャペルは追い込みの告知をかける。いよいよ当日。2004年9月18日土曜日、NY・ブルックリン。ブラック・ミュージック界のスターたちが豪華競演するシークレットライブが始まろうとしていた。バックステージでは、出演者たちが円陣を組み、無事にこの日を迎えられた感謝の気持ちを神に捧げていた。雨が降り始めたステージでは、カニエ・ウェスト、タリブ・クウェリ、コモンが『Get him High』で熱いパフォーマンスを見せる。俳優としても活躍する、モス・デフとタリブ・クウェリのユニットが『Definition』でステージを圧倒。彼らの熱気がブルックリン一帯を包み込む。今回のライブのもうひとつの狙いは、有名人である出演者たちの知られざる一面を見せること。出番でない出演者たちもステージ後方に控え、全員が一心同体となってひとつのステージを作り上げていく。今回のライブの最後を飾るのは、R&Bの女王ローリン・ヒル。しかしレコード会社から楽曲の使用禁止を受けたため、ローリンの解決案で7年ぶりにザ・フージーズを再結成。ローリンは、大ヒットナンバー『Killing Me Softly With His Song』を熱唱。ライブ終了後、バックステージでは「これまでのキャリアの中で最高の1日だった」と感慨深げなシャペルの姿があった。翌朝、世紀のライブを肌で楽しんだシャペルの招待客たちが、それぞれ満足げな面持ちでオハイオに戻るバスに乗り込む。