イスラエルの平和運動家アルナ・メールは、1989年パレスチナのジェニン難民キャンプの中に、「支援と学習」という子どもたちのための事業を開始した。1993年、オスロ合意と和平の機運のなかで、アルナはスウェーデン議会から「もうひとつのノーベル平和賞」を受賞する。この賞金をもとにキャンプに、子ども劇団が作られた。アルナと監督ジュリアノ・メール・ハーミスは、絶望や暴力が渦巻くキャンプの中で、演劇や絵画を通して自由と夢、そして人としての権利を教えていこうとした。しかし、アルナの死と時を同じくして和平が破綻し、イスラエル軍からの激しい軍事侵攻を受けるなか、また青年となった彼らは厳しい現実と直面するのだった。