1942年。第2次大戦は、いずれが有利とも明らかでなかった頃、ノルウェーに基地を持つドイツ軍は大西洋上で連合軍の輸送船爆撃に多大の効果をあげていた。これに対し、連合軍の総合作戦部では、アメリカとカナダの兵によるコマンド部隊を編成、ノルウェーに潜入させる計画を立てた。アメリカ陸軍の参謀フレデリック(ウィリアム・ホールデン)は、最高司令官に、作戦の無謀を非難したが、逆にその作戦の主任を命ぜられ、「第1特殊部隊」の養成をすることになった。期間はわずか3ヵ月である。アメリカ側から集まった兵隊たちは、脱走兵あり、ばくち打ちありで多彩をきわめたならず者たちだったが、これに反し、カナダ部隊は、クラウン少佐(クリフ・ロバートソン)指揮のもと一糸乱れぬ統制をみせた。アメリカ兵とカナダ兵の反目は日ごとに高まっていった。アメリカ部隊の隊長ブリッカー少佐(ヴィンス・エドワーズ)は猛訓練を始めた。決死的な猛訓練を続けている間に、アメリカ兵とカナダ兵との間にも戦友愛が芽ばえてきていた。が、部隊が出場準備を完了した頃、情勢の変化でコマンド作戦は英国で担当することになり、フレデリックの隊には解散命令がきた。怒ったフレデリックはワシントンに飛び、陸軍の首脳部を説いた。その熱意に、参謀長クラーク中将は、イタリア戦線にフレデリックの隊を投入することにした。イタリアに向かった一行は、山頂に強固な陣地を構えたドイツ軍を、得意のロック・クライミングで背後から急襲したり、サーカスそこのけの大活躍をした。あいつぐ殊勲で、フレデリックは、大佐に続いて准将に進級した。終戦とともに、彼の部隊は解散となった。が後に、グリーン・ベレーで知られるレインジャー部隊として再興され、白いタテに黒の短剣をあしらった隊旗は、今も、ひるがえっている。