アメリカ娘のメエリー・バレットは音楽で身を立てる志願で、僅かの貯金をはたいてイタリアへ赴いた。ミラノの町で彼女は同国の青年ビルと相識った。ビルはメエリーを愛した、貧しい彼女を助けようとしたがメエリーは喜ばなかった。そしてカフェーの歌い手となったが偶然音楽教師のモンテヴェルディに認められてその教え子となった。モンテヴェルディはその努力によって歌劇壇に送り出したラリーの恋に悩まされた苦い経験から、師弟間には恋愛禁制を建前とする。ところが烈しい練習の月日がすぎ、メエリーが舞台に立てる様になる頃には、お互いに恋し合うようになったが、2人共最初の建前が建前だけに、恋を自覚しないでいた。そしてウィーンで「カルメン」を歌うことになったとき、南米巡業から舞い戻ったラリーが、モンテヴェルディとメエリーの仲を嫉妬して油を差したことから、ようやく互いに愛を告白し合って結婚するまでになっていた2人は決裂してしまった。「カルメン」の成功を見てメエリーに惚れ込んだ紐育メトロポリタン・オペラ・ハウスの支配人の懇情があったので、メエリーはモンテヴェルディの手元を離れての1本立ちは無理であるにもかかわらず、紐育へ赴いたのであった。演じ物は「お蝶婦人」であったが、モンテヴェルディの指導の無い今、度々の稽古を重ねてもメエリーの歌は全然生彩鳴く、初日も危ぶまれた。鉛の様な重い心に重い足取りで舞台に出たメエリーは眼の前のプロンプター・ボックスのなかにモンテヴェルディの顔を見出して夢かと驚喜した。彼女の「お蝶婦人」は初演が素晴らしい大成功であったことはいうまでもなかろう。