高須輪中瀬古村は木曽・長良・揖斐の三川に接した中洲である。農民たちが今年は豊作だと喜んでいた矢先、降り続く雨のため、南端の堤が決壊。子供の与吉は父の佐助に、将軍はなぜ川を堰止めないのかと疑問を向ける。続いて北端の堤が破れそうになり、与吉も大人たちに混って水防作業を手伝う。この洪水で与吉と同い歳の幸助の家族が亡くなり、長老の弥平の所に引き取られる。翌春、治水工事が開始される。幕府に命ぜられ、村にやってきた薩摩藩が千両箱をいっぱい持っているという噂に、与吉と幸助は人足に雇われようと出掛ける。そこで最初、薩摩の言葉がわからなかったり気心が知れないため苦労するが、次第に武士たちと知り合うようになる。そして、噂と違い薩摩藩の苦しい実状などがわかるようになる。武士の江川は幕府の厳しい責苦に切腹。野田は流行り病に倒れる。工事は幕府役人たちの陰謀で苦境に陥る。それを知った与吉と幸助は、他の子供たちとの大活躍の末、薩摩藩の責任者、浜沖の手助けをする。そして工事は大詰めを迎えた。