昭和十六年、日本国民が戦争の悪夢にとりつかれていたころ、雑誌“新評論”社長葦沢悠平の長男で弁護士の泰介に召集令状が来た。新婚数ヶ月の妻榕子は身体も弱く戦争忌避を望んでいる夫をどうにかして召集免除にして貰おうと一途に考え、堀内退役中将に頼んだ。だが、結果は思わぬ不幸を招き、学生時代左翼運動に身を投じたこともある泰介は、危険思想の要注意人物として堀内中将から憲兵隊本部に報告された。一兵卒として入隊した泰介に辛い軍隊生活が始まった。その彼をいつも慰め励ましてくれるのは新聞記者上がりの宇留木二等兵だった。その年の冬、日米開戦と同時に軍の士気はますます鼓舞し、激しい訓練が日夜行われた。ある夜間演習の際、泰介は剣鞘を失い、広瀬軍曹から蹴られ、営倉に入れられたのがもとで肋膜になり、ついに死んだ。“新評論”は悠平の義兄清原節雄の自由主義思想の原稿の故に発行停止を命じられそうになったが、時局便乗に巧みな岡部編集長の力で持ちこたえられた。泰介の弟の邦男は兄や父の冷静な戦争傍観を憎み、航空士を志願して、その若い情熱を愛国心に集中する青年だった。榕子の妹有美子はその彼にひたむきな愛情を捧げた。榕子は葦沢家から実家の児玉医院に戻り、無聊な生活をまぎらすため陸軍病院の薬局室に勤めた。そこで大腿部盲管銃創の患者と知り合った。彼は男性的な力強さで彼女の心に波紋を与えた。その頃、宇留木が帰還して榕子を訪れた。彼もまた、この美しくしかし孤独な戦友の未亡人に何か心惹かれた。脚の悪い曹長の求愛は日毎に露骨になって来た。だが、彼こそは、榕子にとって夢にも忘れ得ない亡夫泰介の仇、広瀬軍曹であったことを知った彼女は、彼への復讐を固く心に誓った。