若い大学教授紙谷良介とその妻淑子は久しぶりに研究をかねての楽しい旅行をここ南紀に求めて一週間、今旅の思い出を残して東京へ帰る途中だった。良介が親友宇野と出会ったのはある漁師町の近くの車内であった。宇野はその漁師町にある年に一度の鯨祭りに誘ったが淑子は大阪に叔母が待っているというので良介を宇野にたのんで大阪へ直行してしまった。良介にとっては結婚以来妻とたとえ一日、二日にせよ別れるのは初めてだった。宇野と鯨祭に出かけた良介は、偶然弥生を知ったのだ。二人が泊った宿の姪というのが彼女だった。みなし児であるということ、南国の娘らしく、情熱を秘めている純情さがふと彼の胸中をかすめた。翌日良介がつりに出かけ、弥生が彼の弁当をとどけに行ったときはげしい雷雨がおそった。運命のいたづらが彼らを結んだ。そして二日、三日列車不通の間二人は二人だけの愛情に浸ったが所せんは別れなければならない二人だった。大阪へ帰った良介は、妻の顔をみると、心が重くなった。早く東京へ帰ろうという良人の何かいらだたしさを女の心で淑子は知った。何かあったに違いない。妻の心に暗いかげがひろがった。弥生が追うように大阪へ出てきたのはその翌日だった。離れられない、別れられないと女心の一途に良介は又翌日会うと約束したものの、会ってはならない良介だった。そのことを手紙に託して良介は妻や叔母の買物について、あるデパートへ行った。弥生と会う約束の場所だった。良介たちが買物をし、帰って行くころ弥生は屋上で来ぬ人を待ちつづけていた。あの人は遂に来なかった。涙にぬれた瞳は絶望に変った弥生が若い肉体を自ら断ったのはそれから数時間とは経っていなかった。妻の予感は的中した夫は去った。良介は少なくとも愛に対し、妻に対し誠実だった。そのために悲劇が生れたのである。だが淑子は良人を許せないと思った。しかし、心に十字架を背負って寂しく去った良人を救うのは誰であろうか。妻である私ではないか。淑子はがく然とした。私以外に良人を救う人はない。都会の雑踏の中を淑子は良人を求めて走った。