一九四四年六月、米機動部隊はサイパン島に上陸を開始した。南洋製糖社員牧村は避難している妻淳子と二人の子供を求めて傷ついた身体をドンニーの洞窟へ運んだ。その時淳子の洞窟から去って行く原島軍曹の姿に、牧村は深い疑惑を覚えた。原島は抵抗する淳子をトラックの影に引きずり込んで暴力でおかしたのだ。淳子からすべてを告白された牧村は、その夜悲しみと怒りと憎しみの複雑な気持で淳子の身体を求めた。食糧狩の途中牧村は原島を見付け、軍刀で構える原島に迫るが、その時艦砲の一弾は倉庫に命中した。牧村は傷ついた原島を洞窟に運び、冷酷にも淳子に手当を命じた。戦況は悪化、島の北端マッピー岬に追いつめられた人々は次々と死んだ。傍らに横たわる栄子の姿に慾情を感じた牧村は、栄子を抱こうとするが、その犯し難い美しさに打たれ、人間らしい気持をとり戻し、盲目になった原島にも水を呑ませてやった。七月七日玉砕の布告が出され、婦女子は監視兵につきそわれ、マッピー岬から入水して行った。牧村の呼ぶ声に淳子は思わずかけ寄ろうとするが、監視兵に射殺された。七月八日生き残り二、三千名の斬込隊は最後のはかない抵抗に進発した。