大石内蔵助は内匠頭の弟大学の浅野家再興の許しを唯一の心頼みに、京都一力で遊興にことよせ世間のきびしい眼をくらましていた。が、それが徒労に終ったと知ったとき、討入の決意をかためた。その同志の一人、片岡源五衛門の娘千世は、あやと変名して吉良上野介の屋敷に女間者として住み込んだ。間十次郎の面影を胸に抱く千世の身辺に、上野介の貧らんな眼がつさまとうのだった。内蔵助は妻りくを離婚し、幼い子供たちと一緒に里に帰し、江戸へ出府の準備をととのえ、元禄十五年十月七日山科の閑居を出た。九条家御用人立花左近の名を騙つて旅を続けた一行は箱根路で真ものの立花左近に出会い進退きわまるが、事情を察した左近が自ら偽者と名乗ってくれたため窮地を脱して無事江戸へ到着した。目前に大事決行をひかえ、吉良家の見取図を手に入れようとして必死の千世は、彼女に恋慕する多仲に間者と見破られ上野介の前に引据えられた。ちょうど十四日の朝のことであった。この日大石は瑶泉院を訪ね、それとなく訣別を告げた。そして雪のはげしく降りしきるその夜赤穂浪士四十七人は勢揃いして吉良の屋敷に討入った。千世はすでに上野介の好色の犠牲に供せられたが、討入と聞き廊下へまろび出た。そしてそこに待つ清水一角の刃にたおれながら、恋人間十次郎に上野介のかくれた炭小屋を指差して息をひきとった。本懐をとげた四十七人の人々は雪解けの朝の道を粛然と去って行き、千世は荒された吉良の屋敷にその美しい屍を横たえていた。