田川順二は無電技師の資格を持っていたが、持前の善良さが却って彼を厳しい社会の敗残者にしてしまった。しかも、妻文江との間にある一粒種の道夫が、ここ二、三日重態で、彼はその治療費の金策に走りまわっているのだった。しかし、何処へ行っても、彼はその金策が出来なかった。絶望のあまりその夜ふらふらと鴬谷の郵便局へ強盗に押入って、札束を一つだけつかむと外へとび出した。急報で警察のパトロールカーが現場へ急行、深夜の都会は一瞬にして物々しい警戒にゆすぶり起こされた。しかし順二はどうにかその警戒陣を突破、一台のタクシーをひろって山の手の小さなガレージの二階にあるわが家へ帰り着いた。妻の文江は自分の前に投げ出された札束を見ておどろいた。そしてその出所を難詰していたとき、順二の乗りすてたタクシーの運転手がはいった来た。彼は実は腕利きの松波刑事だった。順二が刑事につれ出されようとしたとき、文江は順二のもって帰ったピストルを背後から刑事につきつけ、子供の生死の境であるこの夜一夜だけ連行を待ってくれと必死にたのんだ。その文江の顔をみたとき松波刑事は職責を忘れた。一夜が明け、道夫はようやく生気をとりもどしていた。一緒に家を出て行く順二の顔にも、刑事の顔にも明るいものがあった。