千代田城御蔵番を勤める神尾喬之助は、元旦早々組与頭の戸部近江介を急先峰に、御番所の面々から、年賀の礼を尽さなかったとつめよられた。近江介は、懸想していた園絵が神尾の妻になったうらみもあったが、何よりも彼等が私腹をこやしていることに対して実直生真面目な神尾が常に意見をさしはさむことを邪魔に思っていたからであった。彼等の余りなやり方に堪えられなくなった神尾は近江介を斬って姿を消した。そして彼は江戸っ子気質の御用聞き壁辰と音松の好意で、これもまがった事が大嫌いという通称喧嘩屋夫婦、茨右近とお紘の家にかくまわれた。その右近がまた喬之助から事情をきき、彼が残る不正の御蔵番一味十七名に天誅を加えようというのには大賛成、喬之助の自宅から園絵をひそかにつれて来てやった。喬之助は次々と不正役人を倒して行った。今や戦々恐々の彼等は剣豪神保造酒に喬之助を討つことを依頼したが、神保は園絵と引きかえにそれを承知した。騙されておびき出された園絵も、しかし魚心堂と名乗る当時名奉行の名の高い大岡越前守の親友に救われた。越前守は、悪役人が大かた退治され、主謀の脇坂山城守も御役御免になったのを知って、世をさわがせた喬之助を召取らせた。そこは名奉行のさばき、喬之助を人違いの左近と主張して江戸より追放だけ申渡した。魚心堂から無事送りとどけられた園絵と共に、喬之助は心も晴々と旅に出るのであった。