平田一郎は海軍兵学校に入学したが、重複して受験した一高にも合格した。退学しようとした平田の申し出を教官の岡野は一蹴した。平田は自分の軽卒を悔んだが、訓練や勉学に熱中して、母が危篤の時も故郷へ帰ろうとはしなかった。やがて卒業式が来た。平田は卒業生を代表して恩賜の短剣を拝受した。卒業後の遠洋航海を終えて、はじめて故郷に帰り、母の墓前にぬかずいた。途中、竹馬の友本多勇が幼年学校を卒業し陸軍大尉になっているのも知った。その後海軍省航空本部に勤務を命ぜられた平田は、山本五十六長官から親しげに声をかけられた。やがて大平洋戦争が勃発した。平田は海軍航空隊の一員として、マレー沖海戦に参戦し、ラバウル航空隊に身を置いた。そんな時、満州から南方に転戦してきた本多と再会したが、本多は万年筆を片身にガダルカナルで玉砕した。同じ頃、山本司令長官が督励のためラバウルを訪れた。平田は長官機を護衛したが、敵機に襲われ、長官機は撃墜され、平田も負傷した。長官を護り得なかった責任を感じた平田は、自決しようとしたが、部下に止められた。傷ついた彼は、少佐に任官され、母校海軍兵学校の教官になった。平田の教育、訓練は峻烈をきわめた。そんな彼に反抗してくる佐川の態度にかつての自分の面影を見るような気がした。戦局は終りに近づき、井口は本多の片身の万年筆を佐川に贈り、激戦の島沖縄へと向うのだった。