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襤褸の旗

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  • 平均評点

    73.7点(29人)

  • 観たひと

    50

  • 観たいひと

    7

  • レビューの数

    10

基本情報

ジャンル 伝記 / 社会派
製作国 日本
製作年 1974
公開年月日 1974/5/1
上映時間 115分
製作会社 映画「襤褸の旗」製作委員会
配給
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ モノクロ/シネスコ
メディアタイプ フィルム
音声
上映フォーマット 35mm

スタッフ

監督吉村公三郎 
脚本宮本研 
製作木原啓允 
瀬戸要 
山崎守邦 
撮影宮島義勇 
関根重行 
美術戸田重昌 
音楽岡田和夫 
録音太田六敏 
照明木村吉昭 
編集中静達治 
助監督国上淳史 
スチル三留理男 

キャスト

出演三國連太郎 田中正造
荒木道子 田中正造の妻カツ
田村亮 佐竹和三郎
西田敏行 多々良治平
原泉 ヨネ
辻萬長 一ノ瀬宗八
浜村純 宗六
大関優子 タキ
草野大悟 南佐十
中村敦夫 幸徳秋水
菅野忠彦 木下尚江
和泉敬子 杉本[火華]子
信欣三 斎藤巡査
志村喬 古河市兵衛

解説

明治時代、公害と環境破壊に対して闘った、足尾鉱毒事件の田中正造代議士の半生を描く。脚本は劇作家の宮本研、監督は「混血児リカ ハマぐれ子守唄」の吉村公三郎、撮影は「若者の旗」の宮島義勇がそれぞれ担当。

あらすじ

東京の北東約百五十キロ、渡良瀬川上流にある足尾銅山は、幕末、廃坑状態にあったが明治9年、資本家・古河市兵衛に買収されてから10年足らずで生産量日本一の大銅山にのし上った。時に日本は帝国主義の道を歩み始め、そのために強引な生産体制を敷いたため、銅が渡良瀬川にタレ流され、沿岸農村は、凄惨な毒と死の荒野と化した。銅山操業停止を求めて近代日本最初の大きな農民の闘いが広まった。その農民たちの先頭に、栃木県選出代議士の田中正造がいた。明治33年2月13日、請願書をふところに、農民の若き代表・一ノ瀬宗八や多々良治平らを先頭に、農民代表一万二千名が、東京に押し出して行った。しかし、利根川を渡る川俣で待ち受ける武装警官、憲兵の大部隊に苛烈な大弾圧を加えられた。--“川俣の闘い”である。東京では、帝国議会で田中正造が、この事件を取り上げ、激しい鉱毒弾劾質問演説を行った。すでに、足尾鉱毒事件は全国的問題となっていた。“亡国に至るを知らされば即ら亡国の儀につき質問”--田中正造の肺腑をえぐる追及に対し、総理大臣山県有朋は「質問の趣旨その要領を得ず」と、答弁を拒否した。正造はついに憲政本党脱党、議員を辞職した。そして、正造が嫌っていた社会主義者・幸徳秋水を尋ね、天皇への直訴文執筆を依頼した。こうして、、前代議士の天皇直訴で天下を驚かせた田中正造を、政府は“狂人”扱いにし放免した。以後、正造は毒に犯された波良瀬の大地と農民のもとに帰り、不屈の闘いを続けるが日露戦争のファシズム化の中で停滞を辿らざるを得なかった。すでに宗八の妹・タキと結ばれていた治平も召集されやがて復員。その頃、正造に師事した和三郎はキリスト教者から社会主義者の道へ、同じく正造に師事した女性記者・杉本華子は正造に訣別し、足尾鉱山労働者の闘いの中に入って行き、治平も妻子をおいたまま、その後を追った。明治40年6月29日、谷中村最後の日が来た。足尾鉱毒闘争の高まりの中で、古河市兵衛の妻は入水自殺するが、古河と政府は、洪水防止の一大遊水池開発の名目で、闘いの中心谷中村一帯の壊滅をはかった。なおも踏みとどまる窮迫の農民たちに、目をおおう残酷非情の士地収用法=強制破壊を執行していった……。それから6年後、孤独で巨大な先達・田中正造が息を引きとった。

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