十五年間連れ添ったナポレオンの皇后ジョセフィーヌには一人の後嗣も生まれなかった。一八〇九年皇后は遂に離別された。その蔭には外交官タレェランの智嚢が働いていた。フランスに征服されたオーストリアの宰相メッテルニヒにタレェランから秘かに一通の手紙がもたらされた。ハプスブルグ家からナポレオンの皇后を選んで後嗣を生む事、さすればオーストリアは安全である。かくして選ばれた佳人はフランツ一世の息女、歳十九のマリー・ルイゼ姫であった。姫はハンガリーの別荘に義母のルドヴィカ王妃と暮らしていた。二人はコルシカ生まれの成り上がり者ナポレオンを憎んでいる。メッテルニヒは適当な人をして説得せしめねば事は破れると知った。そして選ばれたのは王妃の弟でナポレオンの為に領地を没収されたモデナ侯だった。領地を追われた憤りをウィーンの都で酒と女にまぎらせていた侯は直ちにハンガリーへ出発した。マリー・ルイゼと別荘で相見た時、始めて侯は彼女が五年前の愛人であった事に気がついた。姫の純情に打たれたモデナは、メッテルニヒに託された使命を彼女に告げる事が出来なかった。王妃は愛する二人の姿をこよなく喜びその事をフランツ一世に便りしたのだった。王はやむなくありのままを王妃に書き送った。王妃の驚きは如何ばかりであったろう。その時既にモデナは姫に別れも告げずウィーンへ帰った。彼は王に乞うてマリーとナポレオンの結婚を断って貰うつもりであったが、しかしフランスの武力の前に何の施す術があろう。モデナと入れ違いに訪れたメッテルニヒから、姫はオーストリアとハンガリーの運命が彼女の一身にかかっている事を聞かされると、姫の堅い決心も崩れモデナとの恋も捨てなければならなかったのである。婚礼の行われる前に王の計らいで若い二人は最後の別れを惜しんだ。姫はただ自分の生涯で最も幸福な日を過ごさしてくれた事をモデナに感謝した。やがて婚礼の鐘はウィーンの都に鳴り渡り、かくて一つの恋は失われたのであった。