英国の看護婦キャヴェルは永年の苦節酬いられて、ベルギーのブリュッセル市の病院長と成って居た。大戦が起った時、彼女は知合いのラッパール夫人の息子ジャックが独軍の手を逃れて来たのに同情し、巧みに国外へ逃してやった事が縁と成り、その後連合国側の兵士が捕虜収容所から脱走して来るたびに、病院の地下室に隠し、運河を利用する伝馬船に托して、何れも無事にイギリスへ送り届けた。その数二百数十名に及んだが、遂に独軍の知る所と成って捕縛された。米国公使ブランド・ウィットロック氏は彼女の助命にあらゆる手段を講じたが、キャヴェル看護婦は1915年10月12日ブリュッセル郊外に於て銃殺の刑に処せられた。この時独兵の一人ラムムラーは発砲を拒絶した為、士官に銃殺され、二人の墓はブラッセル郊外の荒野に相並んで建てられた。