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私は好奇心の強い女 イエロー版

  • わたしはこうきしんのつよいおんな
  • Jagar Nyfiken-Gul/I am curious: yellow
  • Jagar Nyfiken-Gul/I am curious: yellow

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  • 平均評点

    54.7点(6人)

  • 観たひと

    14

  • 観たいひと

    1

  • レビューの数

    1

基本情報

ジャンル ドラマ / 社会派
製作国 スウェーデン
製作年 1966
公開年月日 1971/4/17
上映時間 122分
製作会社 サンドリュー・フィルム=シアターAB・プロ
配給 東和
レイティング 一般映画
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
カラー/サイズ モノクロ/スタンダード
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル
上映フォーマット 35mm

スタッフ

キャスト

解説

単純だが行動的で、あらゆる事に好奇心の旺盛な若い女性を主人公に、彼女を通して現代の政治・社会状況から暴力や愛の間題を追求し、手法的にもいっさいの形式的束縛を超える型やぶりの映画。なお、この映画の姉妹編として「私は好奇心の強い女」(青色編)も作られている。黄色と青色はスウェーデンの国旗を意味する。製作はヨーラン・リンドグレン、監督・原作は「491」のヴィルゴット・シェーマン、撮影は「沈黙」のペーテル・ウェステル、音楽はベント・エルンリド、編集はウィク・キェーリンが各々担当。出演は「491」のレナ・ニーマン、ペーテル・リンドグレン、ボリエ・アールステット、マグナス・ニルソン、ウラ・リトケンス、マリー・イエランゾン、オルガー・ローウェンアドラーなど実名で出演。日本では1971年に45ヵ所カットの状態で公開。2002年のリバイバル公開では4ヵ所のみ修正されたノーカット完全版で上映された。

あらすじ

二十二歳の女子演劇学生のレナ・ニーマンは、ヴィルゴット・シェーマンという四十二歳の映画監督と「491」という作品に出演して以来の親しい仲だった。彼女はシェーマンに連れられ、ソビエトの詩人エフトシェンコの詩の朗読を聞きに行っても、この次の公演で男友達のマグネスと演ずるラブ・シーンの事で頭がいっぱいである。「演劇学生のくせに政治を知らないなんて」と監督はあきれ顔である。しかし、翌日は彼の新作のために演劇学生のウラやマグネスとテープレコーダーを持って、人々に政治や社会問題を聞くために街へ出かけて行く。次にスタッフはオロフ・パルメ運輸相を訪問する。三十九歳の彼はアメリカのベトナム政策を厳しく批判し、国内では“狂熱的平等主義者”と呼ばれ、スウェーデンの明日を担う政治家として期待されている。彼(現在、首相)はシェーマンの質問に答え、スウェーデンの社会、政治政策のこれからなすべき施策を答える。その夜、編集室でレナは一九六六年に撮影されたシェーマンとマーチン・ルーサー・キング(当時、三十七歳)との対談記録を見て無邪気に感動する。翌日のインタビューでは「非暴力についてどう思うか?もしスウェーデンが占領されたらどうします?」と聞いて歩く。その夜、レナはウラと非暴力運動について議論し自慰の方法についても真剣に論じ合う。また彼女は現代の社会民主々義政治体制がほんの少ししか理想を実現していない事を知らせるため保守系新聞を再版したり、ソビエト大使館やスペイン観光旅行社前にデモったりする。レナは父と二人で暮らしている。父は若い時、スペイン戦争へ義勇軍として行ったが僅か三週間で帰って来た。彼女の部屋にはドイツの強制収容所の記録写真と並んでフランコ総統の写真が貼ってある。レナは父から、ボリエという男を紹介される。二人は自然に結ばれ、レナは彼に政治問題から、自分がよかったかという事まで質問したり、自分が今迄二十三人の男と寝た事を告白したりする。架空インタビュー--レナは宮殿内で、退位されたスウェーデン国王(H・レエベナドレル)と会う。何故か皇太子カールはボリエと同じ顔だ--。ボリエにはマリーという若い女と三歳の娘がいた。父からそれを知らされたレナはボリエが「結婚していない」といっていただけにショックを受け、自分の気持を整理するため、南部の田舎の一軒家に“隠遁”する。そして瞑想にふけりながら、苦行者のような日を過ごす。同時にセックスの体位の勉強も試みるのだが、ヨガの苦行はレナより、撮影スタッフの連中の方が上手だ。そこへ父から彼女の居所を聞いたボリエがやって来る。レナの隠遁生活はたちまち楽しいセックスの避暑生活にかわるのだが、レナにはマリーの存在が気にかかり、また、彼の乗って来た車の中にあった女友達への贈り物らしい品物についても、例のインタビュー調で質問してボリエを辟易させ、痴話喧嘩となる。ボリエはレナを暴力的に“犯して”ストックホルムへ帰った。この出来事ですっかり心の乱れたレナは悄然と街へ帰るのだが、街では軍人が「原爆を持とう」と叫んでいるし、父が見知らぬ中年女と寝ている。レナは、全てを清算しようと思い、仲間と一緒に作った研究所を壊し、その仕上げに例のフランコの写真の両眼にナイフをつき立てる。またボリエとは田舎の戸外でセックスしたのが原因で二人とも疥癬に罹り、同じ病院で治療を受けるのだが、その後は右と左に別れて行く。こうして自動車セールスマンと全てに好奇心の強い女の物語は終るが、この映画にはもう一つ、演劇学生と映画監督の物語もあるのだ。撮影所に現われたレナはシェーマン監督に、今迄持っていた彼のアパートの鍵を返す。これで監督と演劇学生の物語も終った。編集室を出たレナは若い俳優ボリエ・アールステットの腕に迎え入れられる。--演劇学生と俳優の物語の始まりであった……。

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