1961年3月28日、三重と奈良にまたがる集落・葛尾で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。村の懇親会で振舞われたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。犯人と目されたのは、奥西勝(当時35歳)。客観的証拠はなく、あるのは自白調書のみ。一審判決では無罪を勝ち取ったが、二審では一転して死刑判決が言い渡される。以降、無実を訴え続けるも2015年、奥西は89歳で獄中死した……。2024年9月26日、通称「袴田事件」の再審公判で、袴田巖さん(88)の無罪が言い渡された。事件発生・逮捕から実に58年を経た無罪判決であり、捜査機関による「自白の強要」「証拠の捏造」が認められた。一方、被告が亡くなった名張事件で再審請求を引き継いだのは妹の岡美代子である。弁護団を結成し、新証拠を出し続けるが、再審の扉は開かない。遂に10度目の再審請求も幕を閉じ、棄却され続けた月日は半世紀にも及ぶ。再審請求は配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹のみしか行うことができない。美代子は現在94歳。美代子がいなくなれば、事件は闇の彼方に消える。残された時間はそう長くはない。それでも兄の無罪を信じ、美代子は長生きを誓う。あまりにも長く辛い「いもうとの時間」は果たしていつまで続くのか……。