答えのわかっている謎解きを延々と見せられるのが退屈
永井紗耶子の同名小説が原作。
文化7年、現在の東銀座にあたる木挽町の芝居小屋が舞台。千秋楽がはね、見物が芝居小屋を出てきたところで衆人環視の中で仇討ちが起きるというプロローグで始まる。
この仇討ちそのものが芝居のように劇的な演出で、芝居がかっているが、それこそが仇討ちの大芝居だったというのが結末。
話が進む初期にネタバレしてしまうというのがミステリーとしては残念なところで、仇討ちの真相を探るべく江戸に出てきた美濃国の藩士(柄本佑)が関係者に聞いて回るのも、答えのわかっている謎解きを延々と見せられるため、相当にダレる。
その退屈さを紛らわせるために、生首のコピーを行き違いから破損してしまうというエピソードを入れているが、本筋の流れを阻害するというか茶化す効果しか生んでいない。
真相が明らかになった後も、芝居小屋関係者への藩主のお礼参りという蛇足で締めくくられ、安手の人情時代劇を見せられた気分になる。
プロローグのカラフルな傘の花が咲く俯瞰シーンは『シェルブールの雨傘』(1963)を想起させ、雪の中の赤を際立たせる演出効果もチャン・イーモウの色彩映画を連想させる。仇討ちシーンは歌舞伎の舞台演出を狙っていて、映像的には頑張っているが、その意図が出すぎていてやや鼻につく。
この人為的な映像づくりが、その後の普通の映像に比べ突出しているのもバランスを欠いていて全体を通俗にしている。制作が東映だと知ると妙に腑に落ちるが、かつての通俗だけれどエンタテイメントな、完成度の高い過去の東映作品には及んでいない。
芝居小屋の関係者に渡辺謙、滝藤賢一、高橋和也、仇に北村一輝。
柄本佑のキャラクターがわざとらしく、エンディングに流れる椎名林檎の主題歌がまるで合っていない。