菅原文太

|Bunta Sugawara| (出演/音楽/脚本/題字)

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本名
出身地 宮城県仙台市
生年月日 1933年8月16日
没年月日 2014年11月28日

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宮城県仙台市の生まれ。仙台第一高校を卒業後、1953年に早稲田大学第二法学部に進学。肉体労働やバーテンなどさまざまなアルバイトを経験するが、授業料滞納のため2年で大学を中退、雑誌のモデルなどをつとめる。56年、東宝「哀愁の街に霧が降る」に学生役で出演。58年に新東宝の宣伝部員にスカウトされて、石井輝男監督「白線秘密地帯」に出演したのち、翌59年に新東宝と専属契約を結ぶ。吉田輝雄ら長身の4人で“ハンサム・タワー”の名称で売り出され、低予算の娯楽映画に次々と出演。怪事件を追う警官役の曲谷守平監督「九十九本目の生娘」60は、現在ではカルト作。61年に新東宝が倒産すると松竹に移籍し、木下惠介監督「死闘の伝説」63で粗暴な村長の息子を力演、ほぼ初めて存在感を示す。松竹と契約を交わした元安藤組組長・安藤昇主演の「血と掟」65から、安藤の主演作に続けて出演。加藤泰監督「男の顔は履歴書」66では闇市を荒らす徒党の一員を演じる。荒々しい役で光る個性は松竹では伸ばしきれず、安藤の紹介もあって67年より東映に。移籍第1作は、同じ新東宝出身の石井監督「網走番外地・吹雪の闘争」67の囚人役だった。当時の東映は、鶴田浩二、高倉健らが昔気質の俠客を演じる様式と情念の世界が興行力を誇った時期で、序列は下からのスタートだったものの、山下耕作監督「極道」68の若山富三郎の不敵な子分役、鈴木則文監督「緋牡丹博徒・一宿一飯」68の悪役などで強い印象を与え、69年の降旗康男監督「現代やくざ・与太者の掟」で、東映初主演を果たす。同年には鈴木監督「関東テキヤ一家」も公開。2本ともシリーズ化されてスターシステムの一角に食い込みながら、梅宮辰夫の「不良番長」シリーズなどにも脇役で数多く出演する。加藤監督「緋牡丹博徒・お竜参上」70、山下監督「女渡世人・おたの申します」71などでは藤純子の相手役に昇格。一方、中島貞夫監督「懲役太郎・まむしの兄弟」71では無鉄砲なチンピラを溌剌と演じ、こちらもシリーズ化される。文太独自のスター性を本格的に噴出させるきっかけとなったのは、深作欣二監督との出会いだった。深作もまた任俠路線に乗り切れぬ時期にあり、「日本暴力団・組長」69で鶴田浩二の脇、「血染の代紋」70では主演で組むが、互いに任俠映画のパターンを崩し切れない模索が続く。しかし、その間に任俠ブームは下火になり、「一番悪い奴が主人公」という深作の狙いに共鳴して「現代やくざ・人斬り与太」72に臨む。敗戦の日に生まれたチンピラの徹底した凶暴。斬り合いでは夢中で転げ回り、撃たれると痛がって叫ぶ無様な肉体の現実味でやくざ映画の美学を壊す即興感覚に、深作は同志を得た思いだったという。長年の傍系の扱いに耐えてきた文太の負のエネルギーは、続く深作との「人斬り与太・狂犬三兄弟」72、中島貞夫監督「木枯し紋次郎」72でさらに研ぎ澄まされる。武骨なアクション俳優が新スターとなる世界の潮流にいよいよ名を連ねたのが、73年の笠原和夫脚本、深作監督の「仁義なき戦い」だった。戦後の広島やくざ抗争20年の実態を綴った元組長・美能広三の獄中手記が原作で、文太は美能がモデルの広能昌三を演じる。任俠路線に代わる実録路線の先駆であり、次々と死に急ぐ若者の無残と、利権のため裏切りを繰り返す親分衆の喜劇的非情がもつれ合いながら沸騰する迫力で、全5部作が大ヒット。だが、第1作で闇市の野良犬だった広能は、じきに自分の組を構え、かつての親分や兄弟分を敵にしながら全国組織の後ろ盾を仰ぎ、やがて若い世代に引退を迫られる。キネマ旬報賞男優賞を受賞した広能役は暴力派演技の到達点であると同時に、アンチテーゼの活力には終わりがあることを示す象徴的な役となる。実録路線人気はなお続き、74年は深作監督「新仁義なき戦い」、山下監督「山口組外伝・九州進攻作戦」、中島監督「安藤組外伝・人斬り舎弟」などで頂点に。75年には警察内部を描いた深作監督「県警対組織暴力」で悪徳刑事、鈴木監督「トラック野郎・御意見無用」でトラック運転手・星桃次郎を演じ、ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。「トラック野郎」はデコトラ・ブームとあいまって年少の観客を集めるヒットとなり、79年までシリーズ化される。その後は実録路線退潮とともに、「トラック野郎」以外の東映主演作は減り、岡本喜八監督「ダイナマイトどんどん」78、長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」79など毛色の違う意欲作に挑戦。ここまでテレビドラマ出演は、NET(現・テレビ朝日)の時代劇『刺青奇偶』73など数本のみだったが、山田太一脚本のNHK大河ドラマ『獅子の時代』80に架空の会津藩士・平沼銑次役で主演。官軍に敗北し明治新政府に追われ、自由民権運動に身を投じる銑次のたぎるような半生は、トップスターでありつつ裏街道を生きる者を演じ続けてきた特異性の集大成となる。81年、深作と蔵原惟繕の共同監督「青春の門」で主人公の父、加藤泰監督「炎のごとく」で幕末の俠客・会津小鉄を熱演したあとは、テレビ朝日『警視庁殺人課』81、TBS『中卒・東大一直線/もう高校はいらない!』『輝きたいの』84、日本テレビ『法医学教室の午後』85などのテレビドラマが活動の中心となったが、吉永小百合が田中絹代を演じた市川崑監督「映画女優」87では、溝口健二がモデルの映画監督役。阪本順治監督「鉄拳」90などで映画を脇で重厚に支える位置を確立し、断続的に製作されるやくざ映画にも大御所的に登場する。活動が多彩なこの時期の代表作は、“誠意とは何か”と問いかける男性を演じたフジテレビ『北の国から・'92巣立ち』。宮崎駿監督のアニメーション「千と千尋の神隠し」の釜爺役が評判を呼んだ2001年には、息子で俳優の菅原加織を不慮の事故で亡くす。失意で一時は活動を止めるが、間もなく東陽一監督「わたしのグランパ」03で復帰。孫娘を見守る老やくざ役に滋味深さを見せた。以後も、三池崇史監督「妖怪大戦争」05、滝田洋二郎監督「バッテリー」07や、TBS『高原へいらっしゃい』03、WOWOW『4TEEN』04、NHK『ハゲタカ』07などのドラマで、さすがの貫録を披露している。91年に、私立自由の森学園の理事長に就任。もともと読書を好み、政治や社会を憂う知識人の一面があり、98年に飛騨地方に移住して、夫婦で野菜作りを始めたのを契機に農業への関心を高める。03年から、各分野の人物をゲストに招いて日本の将来を考えるラジオ番組がニッポン放送でスタート、タイトルは間もなく『日本人の底力』となり、11年現在も放送中。09年、山梨県に生産法人を設立して本格的に農業を始め、県の農山村地域活性化事業のコーディネーターに就任。高度経済成長とともに疾走し、その歪みを暴力で体現してきた俳優にとって、農業への意欲は熱を帯びた生きざまの貫徹である。2014年11月28日肝不全のため死去。

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2023年9月号

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世界の映画作家:深作欣二と菅原文太 現代と〈暴力〉を語る

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