日本でも毒親という言葉は定着してしまったようだけど、韓国でも事情は似たようなものらしい。虐待などといった暴力をともなうDVなどとはまたちょっと違う。ここで描かれる母親像はかつては過保護とか過干渉といった言葉で表現されていたものと同じだ。
それが社会問題化、世間の耳目を引くためにも新しい用語が必要とされたのかもしれない。非常に刺激的でありまた嫌悪感を催させる言葉だ。
その言葉のイメージどおり本作の母親の過剰な干渉ぶりはわかりやすすぎるほどの演出で描かれる。娘の自殺を他人のせいになすりつけようと必死に抗弁するあたりにこの母親の重症度が見て取れる。
こうした親を持った場合行き場のない子どもは自死を選択するしかないのが常。本作のユリも結局そういうことになってしまうのだけど、彼女には別居中のフツーの父親が居るのだから何も死なずとも父の元に逃げれば良かっただけだと思う。敢えて死を選択したのは母への復讐心からだったかもしれない。そんな意味のことをユリは匂わせていたように思う。自分の罪に気づかない母親の偽善者ぶりを滑稽なぐらい強調してみせていたけど、他にも担任教師や友人イェナらの毒親をも登場させテーマを分厚くみせていた。