水俣曼荼羅

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水俣曼荼羅

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レビューの数

25

平均評点

85.2(75人)

観たひと

97

観たいひと

34

(C)疾走プロダクション

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドキュメンタリー / 社会派
製作国 日本
製作年 2020
公開年月日 2021/11/27
上映時間 372分
製作会社 疾走プロダクション
配給 疾走プロダクション(配給協力:風狂映画舎)
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比 16:9
上映フォーマット デジタル
メディアタイプ ビデオ 他
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督原一男 
構成秦岳志 
エグゼクティブプロデューサー浪越宏治 
プロデューサー小林佐智子 
原一男 
長岡野亜 
島野千尋 
整音小川武 
編集秦岳志 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督が、日本四大公害病の一つとして知られる水俣病にフォーカスしたドキュメンタリー。今なお補償をめぐり国・県との裁判が続く患者たちに寄り添い、20年の歳月をかけて制作された3部構成、372分の一大叙事詩。裁判の経過とともに、人々の日常生活や水俣病をめぐる学術研究を追う。第22回東京フィルメックス特別招待作品。2021年第95回キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位、日本映画第5位。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

『第1部 病像論を糾す』川上裁判によって初めて、国が患者認定制度の基準としてきた「末梢神経説」が否定され、「脳の中枢神経説」が新たに採用された。しかし、それを実証した熊大医学部浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視、依然として患者切り捨ての方針は変わらなかった。『第2部 時の堆積』小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に賭ける川上さんの、最後の闘いの顛末。『第3部 悶え神』胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさと叶わぬ切なさを伝えるセンチメンタル・ジャーニー、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、そして水俣にとって許すとは?翻る旗に刻まれた怨の行方は?水俣の魂の再生を希求する石牟礼道子さんの“悶え神”とは?

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2023年6月上旬号

「水俣曼荼羅」初回限定版DVD-BOXボックス発売記念対談:原一男×大島新

2022年3月下旬映画業界決算特別号

読者の映画評:「水俣曼荼羅」平岩潤/「ミラベルと魔法だらけの家」阿比留嘉宣/「グレート・インディアン・キッチン」横田理江

2022年2月下旬 キネマ旬報ベスト・テン発表特別号

2021年 第95回 キネマ旬報ベスト・テン&個人賞:日本映画ベスト・テン

2021年 第95回 キネマ旬報ベスト・テン&個人賞:文化映画ベスト・テン

2021年12月上旬号

「水俣曼荼羅」:インタビュー 原一男[監督]

「水俣曼荼羅」:寄稿

2023/08/26

2023/09/18

75点

その他/シアタードーナツ 1F 


長い、でも観てよかった

自分が子供のころ、テレビで公害病の報道をしていた。そこでひきつけを起こしている患者を見て心底恐怖を覚えた。小学生であったからこれで人類は滅亡するんだなという絶望感に捉われたのだった。その公害病でもひときわ目立ったのが水俣病だった。この病名を久しぶりに見たのはジョニー・ディップ主演の「MINAMATA」だった。なんで今頃、外国から水俣病のことを描くんだと思った。しかしこれは主人公のユージン・スミスが取材したのが水俣病であったから出てきたのである。したがってこの映画は水俣病の問題を描いているものではない。ユージン・スミスが水俣病じゃなくて別のものを取材していてもこの作品は成立する。
だが、水俣病を久しぶりに聞き、この病気が過去のものではないとふたたび注目されたのは悪いことではない。私も水俣病のことは忘れていたのだから。報道やレポート記事を目にしなくなってからは、もう過去のできごとのように思われたから。
それに水俣病のことならなにもハリウッド映画じゃなくても、日本が描かないといけないことである。と思っていたら本作が公開された。たまたまハリウッド映画公開と時期が重なっていたわけで、本作が便乗映画というわけではない。製作に20年かかった。途中でこのまま安倍政権が続くことに危惧を覚えて本作を中断して「れいわ一揆」を製作している。

6時間におよぶ大作にどうなのかなあと思っていたら、観終わるとこれでもまだ足りないんだろうなあと思った。だがこれ以上の時間を使うわけにはいかなかっただろう。これが限界だ。
第一部・水俣病は末梢神経発症ではなく脳からくるものだと主張する医大の教授の奮闘ぶりを描く。しかしこの教授、患者の脳を運ぶときに喜々とした態度はSF・ホラー映画に出てくるマッドサイエンティストだなあ。
第二部・被害者の長い時間に渡る日々に焦点を当てる。
第三部・悶え神という言葉を思い出す石牟田道子の天に召される予兆を描く。

それぞれ二時間に渡るので、これらを三部作として別々に公開しても良かったようにも思うが、それだと三部作全部観る人は少ないのかもしれない。
ということでPART2の製作もさきごろ発表された。
土本典昭監督の水俣病に関するドキュメンタリー、キネマ旬報のベストテンでは文化映画に分けられる諸作品は当時の地方ではほとんど観ることができなかったので、私は彼の作品を一本も観ていない。ぜひこれらの作品がみられるようになりたいものだ。

ともあれ6時間に及ぶ長さは適切ではなかったのかも知れないが、水俣病という高度成長期における闇の部分を後世に残す映像資料としての価値は大いにある。日本史の勉強のためにもこういう記録は永久保存版にしておかねば。
今また岸田首相は汚染水を海水に垂れ流すことをした。まったく水俣病の教訓は生かされていない。もしかすると岸田は水俣病のことは知らない無知な人間なのだろう。で、歴史から何も学ぼうとしないで、こんな愚行をする。これに中国が日本からの輸入禁止を取ると、櫻井よしこなどという似非ジャーナリストが意見広告で一人千円食費を増やして海産物を食べて中国に打ち勝とうなどいう今にも戦争を起こしたいようなアピールをしている。中国がどうのこうのではない。これじゃ日本近海から取れた魚などの海産物は怖くて日本国民も喰えないじゃないか。まったく歴史から学ばない人は愚か者だ。中国を敵視し、戦争の火をつけて日本を混乱させるバカがいるから、こういう記録映画を残さなきゃならないじゃないのか。ここから学べよ、愚かな自民党員とネトウヨ的なジャーナリストは。

2023/01/13

2023/02/08

80点

テレビ/有料放送/日本映画専門チャンネル 


不条理さと不毛さが感じられる

上映時間6時間12分の原一男監督のドキュメンタリーで、2004年に出た水俣病の認定基準は誤りであった、という最高裁判決から、それでも患者として認定されない多くの人たちの国との闘いをメインにして、水俣病を四肢の末梢神経の麻痺、という従来の基準ではなく、血液に入った水銀が脳の一部を侵食して四肢や感覚を麻痺させる、という脳障害説を実証していく二人の医師の姿や、一見患者に見えないけれども確実に脳の感覚を司る部位が水銀でやられて、指先や舌が麻痺している人たちの日々の生活を追っていったりしていますけど、原監督は近作の「ニッポン国VS泉南石綿村」と同様に、国家と闘う市民に寄り添っていくスタンスで描いていて、そのような視点を貫けば貫くほど、被告側である国や行政の役人が原告と対峙する場面では、あまりにも裁判が長期化していることもあって、訴えた当初には全くタッチしていない知事や、裁判の内容をさらっと説明されただけみたいな若い役人が出てきて謝罪するものの、政府か誰かから言われたような文言以上のことは決して口にしないでいる様子を観ていると、不条理さと不毛さが感じられて、何とも言えない気持ちになりますね。

2023/02/02

60点

選択しない 


結論はまさに、水俣病にハッピーエンドはない

 最後の献辞にもあるように、水俣を撮り続けた土本典明のドキュメンタリーの続編であり、原一男のドキュメンタリー作家としての集大成でもある作品。半世紀以上に渡る水俣病問題を総括し、6時間12分という長尺でありながら緩みなく一気に見せる。
 映画は2004年の最高裁判決から始まり、水俣病被害者たちの現在までを3部に分けて追う。
 第1部・病像論は、2004年の最高裁判決を引き出した、熊本大学教授の水俣病の医学的研究を中心に追い、有機水銀の汚染土の現状などを客観的に見せる。
 第2部・時の堆積は、水俣病の歴史を振り返り、被害者たちの人生を現在・過去と時間軸を前後しながら描いていく謂わばヒューマンドラマで、重度の障害が残る小児性水俣病患者、逆境を生き抜いた漁師、家族の尊厳を守るために国を相手に闘ってきた人々が登場し、人間らしい顔を見せるが、やはり半世紀前の子供たちの姿が映ると痛々しい。
 第3部・悶え神は、今も終わらない被害者たちの苦悩を描くと同時に、行政の不作為による二次的加害を炙り出していく。
 イノセンスな者が人生を破壊され、その犠牲が国益の下に正当化されるならば、国益とは何かという疑問に至る。その国益を代弁する官僚や役人、政治家たちの公人を理由にして言い逃れる姿は、会社のためと称して犯罪を犯す経営者や幹部社員同様に醜く、原のカメラは冷徹に写し取っていく。
 個人と国家だけでなく、医学界、介護問題等のさまざまなテーマが盛り込まれ、まさに水俣病を中心とした曼荼羅となっていて、NHKの番組をめぐるドキュメンタリー論も出てくるが深入りはしていない。
 原一男らしいどこにも収斂しないドキュメンタリーとなっていて、悲しいかな水俣病患者たちの未来は見えず、国と県、官僚、役人、政治家たちは変わらず、虚しさだけが残る。
 被害者に寄り添ってきたはずの医師さえ、水俣病は研究のための人体実験だったのではないかと思わせるシーンがある。漁師は検査をしようとする医師、それをドキュメンタリーに収めようとする原を共に拒否する。本作を観る我々を含め、被害者の側に立っていると思う人は、はたして当事者と同じ地平に立っているのか? 共感しているだけの観察者に過ぎないのではないか? ドキュメンタリーの題材に過ぎないのではないのか?
 おそらく本作は最後に、作り手も見る側もそれを問われている。結論はまさに、水俣病にハッピーエンドはないということかもしれない。(キネ旬5位)

2023/01/08

2023/01/10

82点

テレビ/有料放送/日本映画専門チャンネル 


水俣病はまだ終わっていない

原一男監督作品。
6時間以上もの大長編ドキュメンタリーだが、全く退屈することなく見た。20年以上にわたる取材も見事だが、その膨大な映像素材を見事に構成した編集が素晴らしい。
水俣病については、最近アメリカ映画「MINAMATA」を見たばかりだが、この映画を見て、水俣病の最初の認定から60年以上が経っても、水俣病がまだ終わっていないのだなということを実感する。
多くの人がドキュメンタリーの中に登場するが、原監督が足繁く被写体の元に通い、彼らと交流を深めたことで、彼らの素顔そして率直な意見が映画の中に立ち上る。
中でも印象的なのは、水俣病の症状を医学的に究明する熊本大学教授の浴野さん。おかしいなと思うことに対して、素直に向き合い、最終的には水俣病の症状が、末端神経の異常ではなく、脳の異常によるものだということを明らかにした。そのことで、浴野さんは、学会や地域で疎外されるという迫害を受けているそうだが、そうした迫害すらも笑い飛ばす明るさがすごい。水俣病の認定ということよりも、自分の学説が正しいことが認められるのが嬉しいというのは、さすが学者らしい。
裁判の勝訴に沸く原告側よりも、敗訴した国(厚生省)、熊本県の対応の方が興味深い。原告側から厳しく詰め寄られるが、皆一様に硬い表情で目は虚ろ。彼らとて、本当は真摯に被害者に寄り添いたいのだと思うが、それが許されない状況の中で、ああやって自己を消すしかすべはないのだろう。そちらもつらいなと思う。
個人が最高裁で認定を勝ち取ったとしても、その結果は、個々の認定には影響を与えない。与えさせないように、国、地方の行政は意思を持って動いている。国や県と争っても勝ち目はないと嘆く川上さんの言葉は重い。
長い年月をかけたドキュメンタリーだけあって、出てくる人も年を取る。中には亡くなる人もいる。長い裁判の中で、歳月は正直で残酷だが、そこもまた素晴らしい。

2022/06/30

2022/07/01

90点

映画館/兵庫県/元町映画館 


個性溢れる人々の生き様が眩しい

患者認定の基準となってきた末梢神経説を孤立しながらも中枢神経説で覆した浴野教授の明るく分かり易くそして嬉しそうに解説をする表情がこの作品のトーンを象徴していて、障害を抱えて苦しみや悔しさと共に生きてきた登場人物たちのそれでも下を向かずに暮らしていくという生きる喜びが滲み出てくるのが素晴らしい。感情を押し殺して俯いている国や県の役人たちの表情と対照的にまさに曼荼羅というべき個性溢れる人々の生き様が眩しいが、最高裁で勝訴しても変わらない国の頑迷さに日本特有の問題が見えてきて諦めに近い怒りがこみあげてくる。

2021/12/01

2022/03/26

95点

映画館 


今も水俣の海の底は、水銀に侵されている

ネタバレ

「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」「ニッポン国VS泉南石綿村」などを世に送り出してきたドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督が20年の歳月をかけて製作し、3部構成・計6時間12分で描く水俣病についてのドキュメンタリー。日本4大公害病のひとつとして広く知られながらも、補償問題をめぐっていまだ根本的解決には遠い状況が続いている水俣病。その現実に20年間にわたりまなざしを注いだ原監督が、さながら密教の曼荼羅のように、水俣で生きる人々の人生と物語を紡いだ。川上裁判で国が患者認定制度の基準としてきた「末梢神経説」が否定され、「脳の中枢神経説」が新たに採用されたものの、それを実証した熊大医学部・浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視して依然として患者切り捨ての方針を続ける様を映し出す「第1部 病像論を糾す」、小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程や、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に懸ける川上さんの闘いの顛末を記した「第2部 時の堆積」、胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさとかなわぬ切なさを伝え、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力などを描き、水俣にとっての“許し”とはなにか、また、水俣病に関して多くの著作を残した作家・石牟礼道子の“悶え神”とはなにかを語る「第3部 悶え神」の全3部で構成される。

水俣病の患者たちの国との今尚続く長い闘いを描く。病がようやく認められ、保障されたかと思うと、それも少ない金で手懐けようとしているだけと、再び裁判をしたり、怒号が飛び交う政府との対話など、興味深い。

昔の話かと思いきや、今も水俣の海の底は水銀に侵されているなど、衝撃的な内容でもあった。原監督の熱量に、ただただ敬服するのみ。