サタンタンゴ

さたんたんご|SÁTÁNTANGÓ|SATAN'S TANGO

サタンタンゴ

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レビューの数

36

平均評点

81.8(87人)

観たひと

118

観たいひと

59

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 ハンガリー=ドイツ=スイス
製作年 1994
公開年月日 2019/9/13
上映時間 438分
製作会社
配給 ビターズ・エンド
レイティング
カラー モノクロ/ビスタ
アスペクト比 ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「ニーチェの馬」のタル・ベーラ監督による7時間18分の大作が、製作から25年を経て初の劇場公開。ハンガリーのある村。降り続く雨と泥に覆われ、活気のないこの村に死んだはずの男イリミアーシュが帰ってくる。村人たちは、そんな彼の帰還に惑わされてゆく。タンゴのステップ<6歩前に、6歩後へ>に呼応した12章が、全編約150カットという驚異的な長回しで詩的かつ鮮烈に描かれる。脚本は、原作者であるクラスナホルカイ・ラースローとタル・ベーラ。35ミリフィルムにこだわり続けてきたタル・ベーラが初めて許可した4Kデジタル・レストア版での上映。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

経済的に行き詰まり、終末的な様相を纏っているハンガリーのある田舎町。シュミットは、クラーネルと組んで村人たちの貯金を持ち逃げする計画を女房に話して聞かせる。盗み聞きしていたフタキは、自分も話に乗ることを思いつくが、その時、家のドアを叩く音が。やって来た女は「1年半前に死んだはずのイリミアーシュが帰って来た」と信じがたいことを言う。イリミアーシュが帰って来ると聞いた村人たちは、酒場で議論を始めるが、いつの間にか酒宴となり、夜は更けていく……。その翌日、イリミアーシュ(ヴィーグ・ミハーイ)が村に帰って来る。そんな彼の帰還に惑わされる村人たち。果たしてイリミアーシュは救世主なのか、それとも……。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2019年12月下旬号

読者の映画評:「サタンタンゴ」岩永芳人/「トールキン 旅のはじまり」松本ひろみ/「ジョーカー」越村裕司

2019年11月上旬号

読者の映画評:「サタンタンゴ」布やハサミ/「ガーンジー島の読書会の秘密」松本ひろみ/「初恋ロスタイム」保坂朱美

2019年9月下旬特別号

「サタンタンゴ」:作品評

「サタンタンゴ」:解説

UPCOMING 新作紹介:「サタンタンゴ 4Kデジタル・レストア版」

2023/03/12

2023/03/12

100点

VOD/Amazonプライム・ビデオ 
字幕


蒼乃桔梗56歳。『サタンタンゴ』に辿り着く

世界最長のドラマ映画『サタンタンゴ』に挑む日が遂にやって来た。昨夜は妻の元同僚がパソコン設定第二弾に来てくれて焼肉とビールを楽しんだ。家中を焼肉の残り香が漂う昼下がり、「今日だよ」と天から啓示が降りた。

終末世界に現れた畏れを纏った救世主。神話世界の映像詩。上手く表現出来ないが、牛舎から牛の群れが出てきて悠々と歩き去るファーストシーンを見て『サタンタンゴ』の何たるかを知った。やがて時間は道筋を失い神経が研ぎ澄まされる。犬の鳴き声がスクリーンの中なのか窓の外なのか分からなくなる。少女の猫虐待、居酒屋での狂乱の舞踏は全編中屈指の名場面となった。

イリミアーシュが陣頭指揮を取り始めて以降、一気にストーリーは混迷の度合いを増す。意味するところは理解出来なくても辛うじてストーリーは追える。シュリンクすれば140分で纏まる話と思うが、タル・ベーラには7時間18分が必然だったのだろう。観賞後、心に楔を打ち込まれたかのように再び『サタンタンゴ』が聳え立っていた。

取り敢えずここまで辿り着いた自分自身を誉めて上げたい。Mさんの「昔、ピンク・フロイド見たんですよ」に匹敵する体験かもしれない。

2022/12/29

50点

選択しない 


自由の到来という変革の中で希望と不安に揺れる民衆

 原題"Sátántangó"で、サタンのタンゴの意。クラスナホルカイ・ラースロー
の同名小説が原作。
 7時間18分という長尺ながら、約150カット、平均1カット3分の長回しという、『ニーチェの馬』(2011)のタル・ベーラならではの作品。
 『ニーチェの馬』同様の動かない映像に何度も睡魔が襲い、思考力を失って起きている事象を理解できず、しかも説明不足のために話の筋がよくわからないという作品にも関わらず、霧の中の脳みそが何か面白いと感じ、時間があればもう一度見てみたいと思わせてしまう不思議な魅力がある。
 解説によれば、6歩前に6歩後へというタンゴのステップに合わせた12章構成で、前半の6章は複数の視点からの村の一日の出来事、後半の6章は死んだはずの男イリミアーシュが村に帰ってからを描いている。
 舞台はハンガリーの寒村。荒廃した村は貧しく、酒とセックスしか楽しみはない。
 秋の長雨が始まると大地は泥だらけとなり、冬まで村は孤立する。そこでシュミット夫婦、間男のフタキが村の金を持ち逃げして新天地に行こうとするが、イリミアーシュが村に帰って来ることを知って諦める。
 役所の警視に仕事をしろと言われたイリミアーシュは相棒のペトリナ、シャニとともに村に帰るが、シャニの妹エシュティケの死を受けて村人たちに、村を捨てて移住するように説得。村人たちを自由にし、警視に報告書を書く。
 プロローグはフタキが町の礼拝堂の鐘を聞いて目覚めるところから始まるが、礼拝堂は崩壊し鐘は存在しないと語られる。
 ラストは町に入院していた村医者が「トルコ軍が来るぞ」と廃墟の礼拝堂で鐘を鳴らすのを見て村に帰り、部屋の窓に板を打ち付けて光を閉ざし、ノートにプロローグの文章を書いて終わるというエピローグとなる。
 暗喩に満ちた台詞と内容で、ハンガリーの国情を知らないと何を描こうとしているのかわからないが、魂に直接語りかけるものがあって、言葉やドラマではなく、映像でしか伝わらないものがあると感じさせる。
 原作は東欧革命前の1985年に発表されたもので、ハンガリー民主化運動と自由の到来という変革の中で希望と不安に揺れる民衆を描き出したのかもしれない。 

2022/12/11

2022/12/22

75点

レンタル 
字幕


禍々しい悪夢的イメージ

ネタバレ

7時間18分という尋常ではない上映時間はただただ恐怖でしかなく、最後まで観ることができるのかどうか自信がなかったのが正直なところ。さらには「ニーチェの馬」同様に、物語のベースにある宗教的政治的哲学的な意味合いはあまりよくわからないだろうし、観ていて楽しいものでも、万人受けするものでもないことは鑑賞前からわかっていた。

ただ、映画を観始めると摩訶不思議。寒村に閉じ込められた登場人物の鬱々とした心情を、吹きすさぶ風や降りしきる雨、荒涼とした大地やぬかるんだ地面に仮託し、牛や豚、猫や梟といった動物たちになにがしかのメッセージを込めながら、ジワリと動くカメラワークとシンメトリカルな構図で紡ぎ出した陰影深いモノクロームにジッと見入ってしまった。禍々しい悪夢的イメージを絶えず画面に醸成しつつ、その果てには小難しい観念的な物語を独自のセンスと様々な技巧によって唯美的な映像世界へと昇華するT・ベーラの偉才ぶりにただただ感嘆するばかりだった。弱者がより弱い者を虐げる構図を具現化したものであろう、猫を殺した少女がその後お金を奪われ、自死へと至るエピソードが切なくもやりきれない。

あと、まったく馴染みのない俳優陣の奮闘ぶりが印象的で、全編長回しが多用される中での演技はさぞや大変だったと思う。

2022/03/08

2022/03/08

64点

選択しない 
字幕


ポンポさん卒倒

社会主義、資本主義、そしてキリスト教批判が根底にありますが、描かれているのはシンプルに世界と人間の貧しさです。
それは愛の不能と狂気であり、非情の中に宿る生や実存の真摯さでした。
死は生の対極ではなく、その一部として存在しており、本作には眩しい善人も唾棄すべき悪人も居ません。
皆が悪事を働き、施しを与える。
その加減が絶妙で、在り方に嫌悪を抱き切れません。
やがて時間の概念が芸術へ昇華していくにつれ、この割り切れない世界や人に深く安心している自分が居ました。
しかし、もう一度鑑賞する根性は無いので、私は「サタンタンゴを2回に分けて観た」という十字架を背負って生きていきます。

2022/02/11

2022/02/12

-点

映画館/東京都/シアター・イメージフォーラム 
字幕


映画体験の極限

ネタバレ

世の中にある映画の極限を映画館で体現する、という映画としての在り方を頂点まで押し上げる世界屈指の作品といえる。ハンガリーという国のことすら知らない日本人がタル・ベーラの作品をこよなく愛する理由は、小津安二郎作品のような厳格に拘束された状態からの開放だと思う。映画の内容は一定の予備知識がないとまるで理解できない。それでも劇場を満席にした観客とここに7時間以上時をともにした生涯忘れがたき体験は永遠だ。

(略)

前日に『ダムネーション/天罰』を鑑賞して、この日体験した『サタンタンゴ』は、一定の連続性がある。まるで脈絡のないドラマのようだが『ダムネーション/天罰』よりは物語性がある。自らの知識では計り知れないので、プログラムに記載された深谷志寿氏(東海大学准教授)らの解説によれば、この物語は12章だてて、前半の6章が順行で後半の6章が逆行してゆく輪環構造になっているようだ。従って前半で図体の大きい医師(ドクター)がアルコールが切れて出かけるシーンとラストシーンは重なる。映画は医師が窓に板を釘付けして真っ暗になるが、このあとまた同じ話しが繰り返されるということのようだ。これはタイトルのタンゴの意味も重ねていて、タンゴとは6歩進んで6歩下がるダンスで、これらの章立てはまさにタンゴ。輪環構造のタンゴらしい。

そしてもうひとつ重要なのは、ここの農民がなぜ大金を持っていたのか?という疑問だが、これはハンガリーの社会主義政策末期に国策である農場を解散するのに1年分の給料を受け取ったあとという設定だかららしい。ハンガリーはソビエト連邦の軍事介入を受け入れ、社会主義時代が長く、タル・ベーラ自身も国家事情で映画を作ることができないので、社会主義政権下の大学を卒業してこれらの作品を作ったということだ。

ソビエトというとアンドレイ・タルコフスキーを連想する方も多いと思うが、同じ共産圏で弾圧された社会で生み出される映画には共通性がある。タルコフスキーの初期作品の切れ味とワンカットでつなぐ手法はまさにタルコフスキーのメソッドだろう。

話しをもどすと、農民が受け取った1年分の給料を集めて、死んだはずのイリミアーシュが彼らを連れてゆくのは、単に農民に職業を斡旋するのではなく、彼らを国家のスパイとして潜伏させるためなのだそうだ。イリミアーシュと相棒のペトリナは労働忌避者で、当時の社会主義政権では警察に逮捕されてしまう。逮捕された二人は警察の提案で農民をスパイとして潜伏させるアイデアを受け入れたのだ。後半で警官が報告書を作成しているのはこうした流れに沿っている。

このように整理すると話しはわかりやすいが、映画は全く説明を回避し、映像をただただ見せることに徹している。そして貧しい農村の狂気を重ねる。アル中や虐待など、社会主義だろうが資本主義だろうがどこにでも生じるであろう人間の根底に潜む悪(サタン)の面を露悪的に示す。この映画が企画された頃のハンガリーは必ずしも貧しい状況ではなかった。従ってこの映画はハンガリーの実態をしめすというような程度の映画ではない。人の中に棲むサタンがタンゴのように輪環することを立証した映画なのだ。こうした普遍性に気づいた世界の多くの映画関係者がタル・ベーラを評価したのはこの部分なのだ。

とにかくその映像と耳に残る音のすごさは忘れがたき体験だ。『ニーチェの馬』でも自然の猛威を示す風の音などが強烈なインパクトを与えるが、この映画も随所に音の演出が施されている。牛や馬の息吹や歩く音。強風が人物を追い立てるシーン。2度ほど出てくるこの演出はカメラと巨大な扇風機が俳優を背後から追い立てているのだろうか。

医師がアルコールを切らせて倒れるシーンや、この映画で最も衝撃的な少女と猫のシーンなどは、映画史上類を見ない傑出したシーンだ。誰も真似できない優れたシーン。そしてハンガリーの大地の中央に道を配して、その道を画面の向こうに向かって歩かせる演出。延々と地平線に向かって歩くシーンをそのまま写し続ける。最後に医師が唯一向こうから手前に歩いてくる。これらの修行のようなシーンはこの映画の軸だ。観客はとてつもなく長い長いこうしたシーンと対峙させられる。7時間以上に及ぶこうしたシーンを延々と突きつけらた観客は最後に真っ暗な劇場で静かに終焉を迎える。これはまさに生と死。そしてまた新たに生まれる光を待ち焦がれまるで自分が胎児になったかのような気持ちにさせられる。劇場の照明が照らされて生と開放を感じるのだ。

これは単なる映画ではない映画体験の極限といえる。映画が人々に示す在り方の極限。人々の中に内在するサタンを露出させそれを封じ込める。そして見終えたあと外に出てこの映画体験を反芻する。そしてそれはきっと2度と体験することのできない体験だったことを認識する瞬間でもある。

  

2021/07/28

2021/07/28

70点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/テレビ 


映像に没入する。

やっと観終えた。というのが正直な感想。物語を追うというよりも、その都度都度の映像に没入する印象が強かった。どんづまりの村を救おうとするイルミアーシュは、実は村人を搾取する存在だった。そのどんづまり感、果てのない絶望感が、あの長回しの映像からにじみ出ているよう。