原題"Sátántangó"で、サタンのタンゴの意。クラスナホルカイ・ラースロー
の同名小説が原作。
7時間18分という長尺ながら、約150カット、平均1カット3分の長回しという、『ニーチェの馬』(2011)のタル・ベーラならではの作品。
『ニーチェの馬』同様の動かない映像に何度も睡魔が襲い、思考力を失って起きている事象を理解できず、しかも説明不足のために話の筋がよくわからないという作品にも関わらず、霧の中の脳みそが何か面白いと感じ、時間があればもう一度見てみたいと思わせてしまう不思議な魅力がある。
解説によれば、6歩前に6歩後へというタンゴのステップに合わせた12章構成で、前半の6章は複数の視点からの村の一日の出来事、後半の6章は死んだはずの男イリミアーシュが村に帰ってからを描いている。
舞台はハンガリーの寒村。荒廃した村は貧しく、酒とセックスしか楽しみはない。
秋の長雨が始まると大地は泥だらけとなり、冬まで村は孤立する。そこでシュミット夫婦、間男のフタキが村の金を持ち逃げして新天地に行こうとするが、イリミアーシュが村に帰って来ることを知って諦める。
役所の警視に仕事をしろと言われたイリミアーシュは相棒のペトリナ、シャニとともに村に帰るが、シャニの妹エシュティケの死を受けて村人たちに、村を捨てて移住するように説得。村人たちを自由にし、警視に報告書を書く。
プロローグはフタキが町の礼拝堂の鐘を聞いて目覚めるところから始まるが、礼拝堂は崩壊し鐘は存在しないと語られる。
ラストは町に入院していた村医者が「トルコ軍が来るぞ」と廃墟の礼拝堂で鐘を鳴らすのを見て村に帰り、部屋の窓に板を打ち付けて光を閉ざし、ノートにプロローグの文章を書いて終わるというエピローグとなる。
暗喩に満ちた台詞と内容で、ハンガリーの国情を知らないと何を描こうとしているのかわからないが、魂に直接語りかけるものがあって、言葉やドラマではなく、映像でしか伝わらないものがあると感じさせる。
原作は東欧革命前の1985年に発表されたもので、ハンガリー民主化運動と自由の到来という変革の中で希望と不安に揺れる民衆を描き出したのかもしれない。