リリー登場のシーンが本作で一番の盛り上がりを見せる
劇場版『男はつらいよ』誕生50周年、シリーズ第50作として制作された記念作品。
渥美清の逝去から23年を経て制作され、冒頭に献辞が捧げられているほか、エンド・クレジットの最後に、鬼籍に入った笠智衆、三崎千恵子、下條正巳、太宰久雄らの名前も記されている。その中で、源ちゃんの佐藤蛾次郎が顔を見せるのが嬉しい。
満男(吉岡秀隆)の夢のシーンから始まり、タイトルと主題歌が流れるというシリーズのフォーマットを踏襲、寅次郎二世の満男の「男はつらいよ」であるという構成はいい。しかし、唐突な桑田佳祐の登場と歌はまるでバラエティのようでいただけない。
6年前に妻を亡くした満男は、脱サラした初老の新人作家。高校生の一人娘ユリ(桜田ひより)と暮らしている。さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は寅屋を継ぎ、建物は50年前から変わらない。タコ社長の娘・朱美(美保純)も隣に住んでいて、昔の設定を引き継いではいるが、おいちゃん・おばちゃんの居ない寅屋に生気のなさは拭えない。
満男が小説家というのも違和感ありすぎ。ラストシーンでシナリオ上、その設定が必要だったことがわかるが、使い古された手法で山田洋次の老いを感じる。
山田洋次の老いは随所に感じられ、令和の時代でありながら、満男の古臭さ、出版社、ユリやその友達の描写など、昭和にタイムスリップした雰囲気。それが本作に黴臭い影を落としていて、作らなかった方が良かったと思うが、松竹も山田洋次も今も寅さんに頼らなければならないのが寂しい。
ヨーロッパで結婚した泉(後藤久美子)が仕事で里帰りするが、ゴクミもすっかりオバサンになって貫禄たっぷり。久しぶりの演技とあって何処からも泉には見えず、私生活と設定が被っているために、オバサンになって里帰りしたゴクミにしか見えない。
一方、出会った満男はオジサンになっても昔のままに頼りなく、いつまでも子供で成長しないところが寅次郎二世なのだが、マドンナ役の貫禄オバサン・ゴクミとはどうにも釣り合わない。
八重洲ブックセンターで偶然元恋人と再会したゴクミは、連れられて寅屋に宿泊。翌日、老人病院のパパ(橋爪功)を見舞い、ママ(夏木マリ)とも再会。終始満男が付き添って、30年前のロマンスを思い出すが、ゴクミは人妻。
すっかりフランス人のゴクミは、満男に挨拶のキスをして去っていくという、寅次郎二世の2度目の失恋模様となる。満男にはもう一人、担当編集者(池脇千鶴)のマドンナがいるが、演技派すぎてマドンナらしい華やかさに欠ける。
ラストは旅先からの寅次郎の葉書ではなく、満男が新作のペンを取って終わるという寸法。途中、随所にシリーズ48作品のカットバックが入るが、物語そのものがシリアスで、喜劇役者もいないため、懐かしの人情喜劇からは程遠く、「男はつらいよ」の冠がしっくりこない。
寅さんのメモリアルなのか、寅次郎二世の物語なのか、どっちつかずで、新作にしては山田洋次の老いとともに一抹の寂しさが漂う。
ジャズ喫茶を開いているリリー(浅丘ルリ子)も登場し、寅さんとの恋模様を語るが、このシーンが本作で一番の盛り上がりを見せるのはさすが。