男はつらいよ お帰り 寅さん

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男はつらいよ お帰り 寅さん

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レビューの数

162

平均評点

76.6(715人)

観たひと

912

観たいひと

56

(C)松竹株式会社

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル コメディ / ヒューマン / ドラマ
製作国 日本
製作年 2019
公開年月日 2019/12/27
上映時間 116分
製作会社 松竹(制作プロダクション:松竹撮影所 東京スタジオ)
配給 松竹
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督山田洋次 
脚本山田洋次 
朝原雄三 
原作山田洋次 
プロデューサー深澤宏 
撮影近森眞史 
美術倉田智子 
吉澤祥子 
美術監修出川三男 
音楽山本直純 
山本純ノ介 
オープニング主題歌桑田佳祐
(『男はつらいよ』)
主題歌渥美清
(『男はつらいよ』)
録音岸田和美 
照明土山正人 
編集石井巌 
石島一秀 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演渥美清 車寅次郎
倍賞千恵子 諏訪さくら
前田吟 諏訪博
吉岡秀隆 諏訪満男
後藤久美子 イズミ・ブルーナ(及川泉)
夏木マリ 原礼子
浅丘ルリ子 リリー
池脇千鶴 高野節子
桜田ひより 諏訪ユリ
美保純 朱美
佐藤蛾次郎 源公
北山雅康 三平
笹野高史 御前様
出川哲朗 山中
カンニング竹山 飯田
濱田マリ 書店の客
林家たま平 ケアセンターの職員
橋爪功 及川一男
小林稔侍 窪田
立川志らく 噺家
松野太紀 ジャズ喫茶店長
桑田佳祐 

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

国民的人気を誇る山田洋二監督による「男はつらいよ」シリーズの22年ぶりとなる第50作。小説家になり、最新作の評判も上々の満男は、サイン会を行うことに。ところが、その列に並ぶ客の中に、初恋の人で一度は結婚の約束までした女性・イズミの姿を見つける。96年に亡くなった渥美清、倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆らレギュラー陣に加え、マドンナを務めた後藤久美子、浅丘ルリ子が出演。脚本は、山田洋次と「釣りバカ日誌」シリーズの朝原雄三。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

長い間サラリーマンをしていた諏訪満男(吉岡秀隆)は、その合間に書いた小説が認められ小説家になった。現在、彼は中学3年生の娘と二人で暮らしている。最新著書の評判は上々だが、次回作の執筆にはなかなか乗り気になれないモヤモヤした毎日。なぜか夢の中に、初恋の人・イズミ(後藤久美子)が現れ、悩みは尽きない。そんな折、満男は、妻の七回忌の法要で柴又の実家を訪れる。柴又の帝釈天の参道に昔あった『くるまや』の店舗は新しくカフェに生まれ変わり、その裏手に昔のままの住居がある。法事のあと、母・さくら(倍賞千恵子)、父・博(前田吟)たちと昔話に花が咲く。いつも満男の味方であった満男の伯父・寅次郎(渥美清)との騒々しくて楽しかった日々……。あれからもう半世紀の歳月が流れたのだ。ある日、サイン会を行うことになった満男。ところが、その列に並ぶ客の中にイズミの姿を見て呆然となる。ヨーロッパで生活しているイズミは仕事で来日し、偶然サイン会に参加したのだった。満男はサイン会もそこそこに「君に会わせたい人がいる」と小さなJAZZ喫茶にイズミを連れて行く。経営者の顔を見て驚くイズミ。それは20年以上前に奄美大島で会った寅の恋人のリリー(浅丘ルリ子)だった。懐かしい人たちとの再会、思い返す寅さんのこと。それは満男とイズミにあたたかい何かをもたらしていく。そしてその夜、イズミは『くるまや』を訪れる……。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2020年1月上・下旬合併号

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:インタビュー 倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆、後藤久美子、美保純、佐藤蛾次郎、笹野高史、北山雅康、池脇千鶴、桜田ひより、夏木マリ、浅丘ルリ子、山田洋次[監督]

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:周防正行監督が語る「男はつらいよ お帰り 寅さん」

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:ドキュメント「男はつらいよ お帰り 寅さん」番外編

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:小さな貢献 大きな感動

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:"寅んく"解説

巻頭特集 「男はつらいよ お帰り 寅さん」:作品評

UPCOMING 新作紹介:「男はつらいよ お帰り 寅さん」

2019年12月下旬号

短期集中連載 ドキュメント「男はつらいよ お帰り 寅さん」[最終回]:

2019年12月上旬号

短期集中連載 ドキュメント「男はつらいよ お帰り 寅さん」:[第3回]

2019年11月下旬号

短期集中連載 ドキュメント「男はつらいよ お帰り 寅さん」[第2回]:

2019年11月上旬号

短期集中連載 ドキュメント「男はつらいよ お帰り 寅さん」[第1回]:

2021/10/01

100点

映画館 


あれこれと考える空港と病室

予期せず、公開のニュースを知った際の驚きや喜びは大変なものでした。号泣を充分過ぎるくらい予想ができたので、家族とは座席を離れての鑑賞、映画館は温かい歓迎のムード、終演後、あちこちからの拍手はこれまでになかった体験でした。

意外にも満男は小説家に、とは言え、身内に寅さんみたいな人がいたら、話のネタはいっぱい、寅さんの血筋、そんなことも考え納得ではありました。一方、泉とは結婚に至らず、シングルファーザーという展開には意表を突かれました。泉と再会、後に空港での別れの場面は一線を超えた行為、でも、精一杯の優しさ、別れを惜しむ寂しさ悲しみ、いくつかの事柄が浮かぶ感動的な場面でした。本作に限らず鑑賞後に解釈を求めてあれこれと考えるのは楽しいですが、あの場面は個人的には新たなそんな代表例になりました。

本作は老いる寂しさ、やがて訪れる悲しみが強調されていますが、付随して、瀬戸際に立たされた人の、ある種、見苦しさも印象に残りました。橋爪功が演じる泉の父は、かつて、あのように惨めで憐れではなかったはずです。何が彼をそうさせたのか、罰なのか、時の流れのせいなのか、仕方がないことなのか、これもまた、あれこれと考えさせられる場面でした。

笑いと涙の男はつらいよシリーズ、本作に限っては涙のほうが勝ってはいましたが、あれこれと考えさせられ、そんな後押しもあって素晴らしい作品になりました。日本映画に限っては本作が一番好きな作品になりました。それまでのNO.1は、同シリーズの48作目でした。

2021/09/09

2021/09/12

80点

VOD/Amazonプライム・ビデオ 


アート&シアター 一角獣のタピスリー

事務所の壁にかけられていた。光男の部屋にはカンディンスキー。

2021/08/12

40点

選択しない 


リリー登場のシーンが本作で一番の盛り上がりを見せる

 劇場版『男はつらいよ』誕生50周年、シリーズ第50作として制作された記念作品。
 渥美清の逝去から23年を経て制作され、冒頭に献辞が捧げられているほか、エンド・クレジットの最後に、鬼籍に入った笠智衆、三崎千恵子、下條正巳、太宰久雄らの名前も記されている。その中で、源ちゃんの佐藤蛾次郎が顔を見せるのが嬉しい。
 満男(吉岡秀隆)の夢のシーンから始まり、タイトルと主題歌が流れるというシリーズのフォーマットを踏襲、寅次郎二世の満男の「男はつらいよ」であるという構成はいい。しかし、唐突な桑田佳祐の登場と歌はまるでバラエティのようでいただけない。
 6年前に妻を亡くした満男は、脱サラした初老の新人作家。高校生の一人娘ユリ(桜田ひより)と暮らしている。さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は寅屋を継ぎ、建物は50年前から変わらない。タコ社長の娘・朱美(美保純)も隣に住んでいて、昔の設定を引き継いではいるが、おいちゃん・おばちゃんの居ない寅屋に生気のなさは拭えない。
 満男が小説家というのも違和感ありすぎ。ラストシーンでシナリオ上、その設定が必要だったことがわかるが、使い古された手法で山田洋次の老いを感じる。
 山田洋次の老いは随所に感じられ、令和の時代でありながら、満男の古臭さ、出版社、ユリやその友達の描写など、昭和にタイムスリップした雰囲気。それが本作に黴臭い影を落としていて、作らなかった方が良かったと思うが、松竹も山田洋次も今も寅さんに頼らなければならないのが寂しい。
 ヨーロッパで結婚した泉(後藤久美子)が仕事で里帰りするが、ゴクミもすっかりオバサンになって貫禄たっぷり。久しぶりの演技とあって何処からも泉には見えず、私生活と設定が被っているために、オバサンになって里帰りしたゴクミにしか見えない。
 一方、出会った満男はオジサンになっても昔のままに頼りなく、いつまでも子供で成長しないところが寅次郎二世なのだが、マドンナ役の貫禄オバサン・ゴクミとはどうにも釣り合わない。
 八重洲ブックセンターで偶然元恋人と再会したゴクミは、連れられて寅屋に宿泊。翌日、老人病院のパパ(橋爪功)を見舞い、ママ(夏木マリ)とも再会。終始満男が付き添って、30年前のロマンスを思い出すが、ゴクミは人妻。
 すっかりフランス人のゴクミは、満男に挨拶のキスをして去っていくという、寅次郎二世の2度目の失恋模様となる。満男にはもう一人、担当編集者(池脇千鶴)のマドンナがいるが、演技派すぎてマドンナらしい華やかさに欠ける。
 ラストは旅先からの寅次郎の葉書ではなく、満男が新作のペンを取って終わるという寸法。途中、随所にシリーズ48作品のカットバックが入るが、物語そのものがシリアスで、喜劇役者もいないため、懐かしの人情喜劇からは程遠く、「男はつらいよ」の冠がしっくりこない。
 寅さんのメモリアルなのか、寅次郎二世の物語なのか、どっちつかずで、新作にしては山田洋次の老いとともに一抹の寂しさが漂う。
 ジャズ喫茶を開いているリリー(浅丘ルリ子)も登場し、寅さんとの恋模様を語るが、このシーンが本作で一番の盛り上がりを見せるのはさすが。

2021/07/31

2021/07/31

68点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/タブレット 


さすが山田洋次監督

寅さんといえば正月の映画。
初夢!とは行かないまでも、夢から始まり、別れで終わる。いつもながらの寅さんを50周年で甥っ子の満男の生活と思い出で綴ったこの作品は、作ったもの、演じたものでなければわからない「寅さん」の良さ、人情の良さをうまく引き出しているように思えた。
あ〜寅さんがいたらなぁとみんなが思えるような…
渥美清が亡くなってもう20年以上たって、今でも寅さんが、そこにいるような気になるのは山田洋次監督以下全ての俳優さん、スタッフのこの映画に対する思い入れというものでしか言い表せない楽しくも哀しい映画だった。
最初の桑田佳祐の寅さんの歌も非常に良かった。

2021/06/29

2021/06/29

40点

テレビ/有料放送/WOWOW 


寅さんは帰ったのか?

 1996年に渥美清が亡くなってから、23年後に作られた『男はつらいよ』の50周年の50作品目という触れ込みの作品。

 でも、結論から言えば、結局は新作というより、「追悼作品&名場面集」になってしまった。


 クレジットの1番目は渥美清だが、実質的主役は吉岡秀隆演じる満男。

 彼は、シリーズの晩年でも「2代目寅さん」になりかけているような存在で主役みたいなものだったが、
彼と元恋人の泉との関係を中心に、数十年ぶりの後日談のストーリーになっている。

 でも、久しぶりに再会した泉とは、お互いに家庭を持つ身で恋愛に発展する気配は最初から薄かったし、
満男の仕事仲間の池脇千鶴とも恋愛に発展しそうでしないし、
結局は「後日談」としてはこれといってほとんど何もなかった。

 代わりに、事あるごとに過去を回想しては、過去の作品の断片が挿入されるので、
名場面集の雰囲気が強まってしまった。


 それにしても、元くるまやの仏壇の遺影から「寅さんはまだ死んでいない」という設定のはずなのに、
出演者の誰も「寅さんはどこかで生きている」という雰囲気を出さず、
むしろ「この世にはもう存在しない」という雰囲気が感じられる作品になっていたのは何故だろう?

 「新作」を作る意思が本物だったら、ちゃんと「生きている雰囲気」を出していたと思うが、
「渥美清追悼」の方に意思が傾いていたから、混同して寅さんも追悼してしまったとしか思えない。


 以上のように残念な出来で、これなら新作の振りをしないで、最初から「名場面集映画」として作った方が良かったのでは?

2021/03/21

2021/03/25

85点

テレビ/無料放送/BSテレ東(BSジャパン) 


「これは山田監督の渥美さんに捧げた心の籠もった精一杯の弔辞だねーその事が哀しい」

ネタバレ

 車寅次郎こと渥美清ー晩年は体を壊し観ているのが痛々しい程で一世を風靡した昭和の名優の矜持からすればやっと出ていると言う印象が拭えないが、それでも俳優、渥美清と言う名を超えて我らが「寅さん」として看板を背負って亡くなられた俳優としては正に不世出の巨星だった。所謂当たり役を持った名優は他にも何人も居るけれど、最期は自分の名前と当たり役での役名が同一化してしまって当たり役の役名で惜しまれつつ葬儀を迎える俳優はそう多いものでは無い。私の世代では『座頭市』を見事に演じ切った勝新太郎くらいか。それだけに長きに亘って前人未到の道を歩き続ける事への意地の一徹を感じるし、誰も歩かないから敢えて自分が歩くだけでは無く、自分の名を以てその留め(とどめ)とし、他の追随を許さなかった処に前人未到の道に深く踏み入った者だけが身を以て知る、並々ならぬ「覚悟」を感じる。そう言う点で自らが進んで身を投げ出す様にして敢えて誰もが好んで歩もうとはしない孤高の道を選択した車寅次郎ーじゃ無かった渥美清と言う俳優が稀有な俳優なら、そんな渥美さんが終始演じ続け、その車寅次郎と言うキャラクターに染まり続ける中で演じ分けられる、「寅さん」の棲んでいる世界観も、また人が生きるの、死ぬのと言う問題を超越した、仙人が棲んでいる様な世界に分け入った様な孤高の世界だ。
 そしてその孤高の世界の中で常に問われ、問い続けられているのが男と女の「愛」の問題ーその愛の問題が1969年に産声を上げて以来、シリーズ48作、26年間を貫いた人が生きる哲学的テーゼとして問い掛け続ける。「寅さん」に出演した正に百花繚乱のマドンナたちー何れ劣らぬ彼女達はその人は何故にして生きるのかと言う問い掛けをより明快な形で具現化して見せる仙人の挑んだ「蒟蒻問答」の謎解きの様なものだ。その謎解きの中で寅の身を切り刻む様にして寅さんの自我=生きる支えに問い続けられて来たのが男と女の出会った後の「愛」についての問題だったのだ。が、図らずも車寅次郎と言う男の中で自分の想う相手の女性の事を強く愛し、四角く角張った顔の寅次郎が西欧で言えば彼のシラノ・ド・ベルジュラックの様に強く愛して人知れずその想いを曝す事に為った結果、想い人の寅を苦しめたのが「狂気の愛」であり、その愛の見せる狂気の姿そのものだった。独り誰もが日頃踏み入る事の無い孤高の道、人の生きる道筋の中でも最も険しく厳しい受難の道を選んでしまった為にその厳しさの中で自分の見るもの、触れるものの全てを自分の掌に載せる様にして優しく護って壊さない様にする余り、その想いの中で想いに駆られて気が触れてしまった愛の「狂気」ー。そんな如何にもか弱いものを庇護する様にして護る事に唯々命を張る事に身を苛まれる愛の求道者が気が触れる想いの中で最後に見届けたものーそれはこの世の中にこんなに美しいものが在るのかと想われる程の、儚さの中で偏にその美を強くする美意識。その夢でも観ている様な非日常の世界だけだったと言う「浦島太郎」の世界に遊ぶ現実が『男はつらいよ』のシリーズを通してその謎解きの中に描かれる処だ。
 今回の「お帰り 寅さん」ではそんな車寅次郎のDNAを引き継ぐ、と言うよりはそのアイデンティティの形成の過程においてその自我を形作るのに多大な影響を遺した諏訪満男(吉岡秀隆)の物語として、寅さんこと伯父の車寅次郎から「人間、斯く生きるか」と言う求道者のバトンを受け継がれている。寅はこの『男はつらいよ』のシリーズの中ではシリーズ42作「ぼくの伯父さん」の頃にも為るとあの元気いっぱいで通していた寅さんの体力にも陰りが見え始め、それ迄の寅さんの役割だった恋愛の求道者として熾烈な孤高の道を歩んで来た立場をそろそろ青年期に差し掛かって来た甥の満男に託す形で「映画」の中では世代交代をスタートさせている。及川泉(後藤久美子)が諏訪満男のマドンナとして登場するのもこの42作からだ。そんな風にして香具師と言う身の振り方の性格上、何時もちゃらちゃらと気前のいい事ばかり言って遊んでいる様には見えるが、その実、寅自身の心の支えと為る軸の部分に「家族」と言う領域を神聖で決して傷付けてはいけないものとして置き、そう言う家族への直向きな「願い」を通して人の幸せと人間、
如何に生きるべきかと言う意味を心の中に描いた継承者として自分の体力が落ち自分の寿命を悟り始めた頃、昭和の名優はその人が生きる意味を探る求道者としての立場を諏訪満男に託している。折しも時代は「平成」の産声を上げた頃。だからこの映画は「ぼくの伯父さん」からすれば既に30年が経っている。満男は製靴会社のサラリーマンを辞め新進の小説家として食い繋いでいる毎日だが、これは嫁さんが未だ幼い育ち盛りの娘を遺して6年前に早死にし、娘に寂しい想いをさせてはいけないと言う想いーと言うか、配慮からの、人生崖っぷちの中での転職だろう。清水の舞台から飛び降りた様な気持ちと言えば聞こえはいいが実際は親愛なる家族を護る為の苦肉の策だったに違いない。そんな崖の上でしどろもどろしながらも足を滑らせない様に足下に気を払いながら家族を護って来た満男。そう言う満男だからこそ、映画のオープニングで流れる夢の場は、寅の見る夢その儘に女難の身に曝された、未だ男と女の間の愛の道行きを追う中に人は何故生きるのかと言う人の生きる「常」を詳らかに出来ない懼れにも似た敬虔な命題に為っている。それにしても男と女の間で唯只管に肌を擦り合わせずにはいられない愛の遍歴の中に人の生きる意味を探るなどと言う事は、恐らく人が生死の境に立つまではっきり見えて来るものでは無いだろう。それだけに今の満男にとっては悪夢だ。だからその悪夢に立った中で金縛りにでも在った様に身動きが出来なくなる。が、そんな人の何とか今の世をバランスを崩さずに生きる事に努めている現実の中で突如として観る、嘗ての恋人、泉ちゃんとの馴れ初めが諏訪満男の中で一つの悪夢として満男に問い掛けるのは、この映画のシリーズをずっと観て来た私達にとって伯父の車寅次郎が愛の求道者としてずっと追い掛けた「謎解き」と同じだ。それだけに其処に人が生きる事の意味を観客も満男と一緒に為って考えさせられる。然れど観ている私達も気を揉んで事の成り行きを護るばかりで何が出来ると言う訳では無い。其処に映るのは相手に対する想いだけだ。映画のラストで娘のユリ(桜田ひより)が父親の満男に取ってつけた様に「パパお帰りなさい」と言う。訳を訊いてみると「だってこの3日間パパは何処か遠い所へ行っていたみたいだったから」と言う返答に我に返ってハッとする満男。アンデルセンの「裸の王様」では無いが子供、子供と思っていたら子供は自分達の事を知らない処でちゃんと見ていたんだ。あぁ、もう少しで及川泉との想いに引き摺られて不倫の渦中に身を落とす処だったがその実、何処かで救われたと言う様なざわついたざわつきから解放された落ち着きも生活に戻って来た様だ。其処に人の恋愛に対する想いの儚さと、狂気にも似た人の心を捉えて離さない哀しさが在るだけに、その哀しさが儚いのだと言う男女の恋愛に懸ける妙をほんの少し嗅ぐ。そんな時だ。人の「幸せ」の意味を知るのは。此処にはそう言う静かな時間が流れている。