スパイダーマン映画史上最高と言われ、CGアニメーションの新しい映像表現を開拓したと絶賛された『スパイダーバース』のソニー・ピクチャーズ・アニメーション制作作品です。
「カラオケ」と同様、世界に広まった日本発祥文化「絵文字」=「emoji」をテーマにした3DCGアニメ映画が製作されるというニュースを知った時には、シュールなアイディアに興味をそそられました。監督はディズニー・アニメで一番大好きな『リロ&スティッチ』の続編である『リロ&スティッチ 2』を監督したトニー・レオンディス。
前作には遠く及ばないものの3作目の『リロイ&スティッチ』よりはマシだったな、位の印象しかないので果たしてどんな作品に仕上げるのか全く未知数だったんですけど…。
なんだかアメリカ本国ではあまり評判が良くなかったというのはうっすらと聞こえてはいました。でも一般には失敗作と評されているブルース・ウィリスの『ハドソン・ホーク』とか、シルベスター・スタローンの『オスカー』とか結構好きなんですよ。だから評判は悪くてもやっぱり自分でちゃんと観てみないと分からない、というのがあるんです。
で、観てみましたらアラ不思議。自分がジーンよろしく “ふーん” になってしまいました。
観終わった後に調べてみましたらアメリカで評判が良くなかったどころか5,000万ドルのビッグバジェットに対し全米興収860万ドルの凄まじい大コケ!最低作品賞・最低監督賞・最低脚本賞・最低スクリーンコンボ賞のラズベリー賞4冠!日本では辛うじてユナイテッド・シネマでの限定公開があったものの1ヶ月後にブルーレイ・DVD発売のほぼDVDスルー!
想像以上に酷い結果になっていましたとさ。
そうは言っても全世界興収では2億1,800万ドルを稼ぎ出してはいる本作。怒りを感じるほどの大失敗作かというとそこまでではありません。
スマホの中だけあって現実のアプリが沢山登場しますし、それらをジーン、ハイタッチ、ジェイルブレイク達が一つの世界として通っていくのはなかなか楽しめます。「Spotify」で音の波形を正に波として移動手段に使ったり、「Dropbox」がスマホの外に出るための出入り口となっているとか、アプリの特性をうまく活かしたアイディアでした。「You Tube」では何とピコ太郎の動画が流れていましたけど、これって日本版独自のもので国ごとに差し替えられてるってことはないんでしょうか?もしこれが共通であるなら本当に世界的に大ブームだったんだなぁということが伺えます。「絵文字」同様、日本発祥という共通点のおかげでしょうかね。
アプリ一つ一つがいわば様々な冒険の舞台となっていましたし、ジーンが色んな顔をできるのがファイアーウォールを騙すために必要なスキルだというのもうまいことハマっていたんではないでしょうか。
今、スマホは人類にとってなくてはならないガジェットと言って過言ではないわけで、スマホの中の世界が舞台となるの作品が出てくるのは当然といえば当然。むしろ実際のアプリを登場させるために権利問題をクリアするのが大変だったんじゃないかなーと。『レディ・プレイヤー1』然り。だから色んなアプリが出てきて、そこを巡って冒険を繰り広げること自体はとっても楽しいんです。
ただねー、どうもこのスマホ内、アプリを渡り歩いて冒険というプロットが『シュガー・ラッシュ』とかと類似していて既視感が拭えません。『インサイド・ヘッド』なんかも思い起こしたり。プロットが似てしまうのは別にいいんだけど、そこに本作ならではの観せ方、魅せ方が感じられないんですよね。
楽しいけどもなんか観たことある感じになってるのと、どうにも後に何も残らない感じ。その原因は結局ジーン達 “Emoji” のキャラクター性の弱さ、「絵文字」を擬人化したキャラ設定の安直さにあるんじゃないでしょうか。
やっぱり観始めてすぐ「んん?」と思ったのは「絵文字」がそのまんまただキャラクター化されてること。これ「絵文字」であることに意味あるのかな?と疑問に感じてしまいます。「絵文字」であることの意義やしばりが緩い状態でのキャラクター化なので、『シュガー・ラッシュ』のようにゲーム・キャラクターに置き換えても成り立っちゃいますよね。「絵文字」だからこそを突き詰めてキャラクター化してないから、当然ストーリーも「絵文字」ならではの展開にはなりません。
なので“ありのままの自分” “自分らしさ” が大事なんだ、自分のコンプレックスと思っていたことが実は個性なんだ、というメッセージも結果的に響きにくいというかちょっと白々しい感じがしちゃうのです。
アレックスがアディーにたった一つの「絵文字」を送るだけで思いが通じちゃうのもなんだか嘘くさいし、そもそも全部の表情ができる「絵文字」って、単に「アニ文字」なんじゃ…。
父親のメルが元々他の表情ができるとか、メルとメアリー夫婦の仲違いも全く必要ないエピソードどころか、むしろ余計だったのでは。
ストーリーの組み立ても雑なところがあるのも否めませんが、やはり「絵文字」をテーマにするというアイディアを安直な形のままにして突き詰めなかったところに全ての原因があると思います。