女子高生小松菜奈が恋をする。相手は坂口健太郎(余命10年)でも菅田将暉(糸)でもない。中年のコンビニ店長大泉洋である。
破綻するにせよ、ハッピーエンドにせよ、何だか中年好みの「ロリータ」や「ベビードール」系のドラマを想像して、それとなくこの映画を避けてきたような気がする。
ところがドッコイ、いい意味で裏切られた。女子高生の再生物語として巧く出来ており、単純な恋愛映画にもロリコン系にもなっていなかった。
アキレス腱断裂でランナーとして未来が見えなくなっていた彼女が、中年のファミレス店長と出会った時に、みるみる心が解き放たれていく。その場面がさり気なく、しかも丁寧に描かれている。手品も伏線を効かせている。
副筋として教室での昭和文学史の授業風景、コンビニでの同僚たち(磯村勇斗や濱田マリら)の点描、陸上部の仲間である清野菜名や隣接高校のライバルアスリート山本舞香とのふれあい、大泉洋の友人小説家(戸次重幸)との付き合い、大泉洋の子どもとの交流等々が巧く小松菜奈に絡めて描いていく。
で、清々しい映画に仕上がった。小松菜奈って、こういう影を抱えた女の子が旨いなぁと感心する。でも彼女の魅力については多くのレビュアーが書いておられるので、ここではスタッフのことに触れておきたい。
先ず脚本の丁寧な書き込みに感動した。例を挙げるとキリがないが、いちばん舌を巻いたのは、スポーツ用品店で、清野菜名が大泉洋に出遭うシーンである。
彼女はこの男が夏祭りで遠目に親友の小松菜奈と親しげに話していた男だと覚えていた。大泉洋の方は彼女のことを知らない。➡︎ 彼が落とし物を拾ってあげたことをきっかけに会話が始まる。彼は息子のランニングシューズを買いに来ていた。それで彼女はシューズの選び方を教える。➡︎ 彼女の説明を聞いているうちにランニングに相当詳しい人と察して男は質問する。「アキレス腱を切ってもランナーとして再起できるのか」と。➡︎ 清野菜名はその質問で、男が誰のことを気にかけているのか分かる。彼女はここで初めて男の中に友人小松菜奈への気遣いを感じる。
ランニングシューズとアキレス腱の話題だけで、清野菜名の大泉洋への俗物的な誤解が氷解していく心的過程が丁寧に書き込まれている。「わたし、あなたを若い娘をたぶらかす女たらしだと誤解してました。ほんとうは良い人なんですね」などと、心情をセリフで説明するような安易さがここには無い。「具象的な会話による心的過程の明晰さ」と「映像による分かり易さ」とを見事に両立させた筆致に舌を巻いた。坂口理子の名を覚えておこうと改めて思った。
そつのない手慣れた演出も思い掛けない収穫で、この人は何者かと改めてキネノートでフィルモグラフィを覗いてみてビックリ!
永井聡監督には「ジャッジ」で出会っていたことに初めて気付いた。「ジャッジ」のときは新鮮なギャグの連発に笑い転げた。あまりにも型にはまらない並々ならぬ才能を感じたが、これは「ソフトバンク白戸家の犬」で見せたコマーシャル作家としての閃きと同じ類と見て、この監督のセンスの良さは映画作家としてはビギナーズラックで終わりそうな気がしていた。
「キャラクター」はサスペンスとして評判を耳にしたのが観る動機になっており、それが永井監督の作品とは意識していなかった。
今回の作品が「あっ、あの時の監督だ!」と初めて「ジャッジ」と「キャラクター」と繋がった。永井聡監督、着々と軌道に乗せた仕事ぶりを見せており、コメディに始まってホラーサスペンスを経てラブストーリーまでジャンルの振れ幅も大きくて、閃きだけの一発屋ではなかった。今ごろになって何を世迷いごとをとお叱りを受けそうですが、遅まきながら暫く追いかけてみることにします。