オーピー映画のR15再編集版シリーズ、「静寂に抱かれる女」は、朝倉ことみ扮するヒロインが、トラックに自分の娘が轢かれて死ぬところを目撃した場面から映画が始まり、離婚届の紙が映ったのち、彼女が旅に出て、地方にある弁当屋で働き始め、弁当屋の主人・森羅万象のオモチャのように扱われた上、売日弁当屋に現れる常連客・岡田智宏に惹かれて彼についてゆくと、岡田はトラックで女に売春させる女衒みたいな男で、朝倉はいつしか自然に岡田に使われる売春婦として働くようになるというふうに、朝倉ことみが転落人生を歩く様を、無言劇として組み立てる映画です。
以前わたくしは山内大輔の「私みたいな女」について書いた中で、“キム・ギドクと似た匂いを感じる”と指摘し、それは、観ている者が痛いと感じるような暴力表現に、共通性があると思ったからで、この「静寂に抱かれる女」のような無言映画があることは知らなかったのですが、キム・ギドクと言えば、「うつせみ」「ブレス」「メビウス」と無言映画を複数回撮っている監督であり、山内とギドクに似た匂いを感じた偶然に驚きました。
「静寂に抱かれる女」は、ヒロイン朝倉ことみの転落映画という面だけ見れば、無言劇として統一されている(1ヶ所だけわざと台詞が使われていますが、脇役・太三が口にするどうでも良い台詞です)せいもあって、纏まりの良さを感じるものの、弁当屋の娘・初芽里奈が家庭教師・小池琢也の目を刺すという突然の暴力、2度にわたって登場する死体損壊、そして又しても畸形志向と、観る者を逆撫でしてゆくのであり、山内大輔が先日の「犯る男 最終版」の舞台挨拶の際、“ウェルメイドな映画だけは作るまいというのが信条”という言葉通り、この「静寂に抱かれる女」も彼の信条に沿った映画でした。
とはいえ、「犯る男 最終版」「私みたいな女」の2作が持っていた、画面から伝わる痛みは、この映画には不足していたことは否めず、山内大輔の映画としては物足りないと思いました。