北條に嫁いで来た翌朝。
夜も未だ明けぬ黎明から家事に勤しみ始めるすず。水を汲み 火を起こし 湯を沸かし―。
そんな彼女の一連の所作行動カット群に、彼女の住まい周辺を俯瞰で捉えたショットが一枚インサートされる。そのショットでは 数件の住居屋根上から、すずの家“同様に”靄煙が立ち上っている―。
彼等の相貌/日常は前面化されず あくまで後景(片隅)に留まるが、主人公女性すずと“同じ生活”が無数にあった事を物語る。
すずが屋外/街頭に出る度 それら後景“片隅”に映る無数の人々に是非眼を向け 想い馳せて欲しい。
見る事、識る事、心に焼き付ける事。夫の相貌を忘れまいと書き記そうとするすずの姿勢は、それら名も無き人々の 普通で他愛のない日々 ー故に特別な日々ー を“描き残そうとする”作品それ自体の顕在化でもある。
そしてすずの、それらを心に留め様とするその“意識的眼差し”は、本作を見、当時の無数の人々に想い馳せる観客一人〃の意識的眼差しと鏡映する筈だ。
終極にすずが口にする“謝辞”は、当時の 苦しみや怒りや歓びを、見てくれた 識ってくれた そして忘れまいとしてくれた“観客”に対するものだろう。
『ありがとう、この世界の片隅に、確かに私達が存在した証しを、見つけてくれて』―
《劇場観賞》