40代有職主婦、目下の悩みは「仕事」と「介護」。現代日本女性の悩みと全く同じだが、本作の舞台は90年代の香港。つまり40代女性の悩みはいつでもどこでも変わらないということだ。
優しかった姑が亡くなってから、認知症になってしまった舅リンの面倒をみることになったメイ。もともとリンとはソリが合わなかったが、亭主を含めた実の息子、娘たちは全く当てにならない。同居していることもあり、貧乏くじを引くはめになってしまったのだ。
元軍人のリンは、ことあるごとに徘徊したり、傘をパラシュート代わりに屋上から飛び降りたりと突飛な行動を繰り返す。厄介なことに体格が良いため、ぶらさがった体をひっぱり上げるだけでも重労働だ。そのうえ仕事ではバリバリのキャリアウーマンとして会社で一目置かれていたはずが、パソコンを使える若い新入社員の入社によってメイの立場は危うくなり始めている。
八方ふさがりのメイだが、彼女には持ち前の明るさと強さがある。服を着たままお風呂に入ってしまったリンを叱らず、洗濯する手間がはぶけると、洋服ごとゴシゴシ洗ってしまう機転の良さが頼もしい。
姑の突然死から始まり、相談に乗ってもらっていた近所のおばさんを癌で亡くすなど身近にある「死」や、肉親内でのエゴの応酬などマイナスな面が多数描写されているにもかかわらず、本作はとても明るい。それらの辛い部分をコミカルに描くことで、前向きに生きれば小さな幸福が手に入るという人間賛歌となっている。
パソコンが使えなくても、データ消失しない記憶力を持っている。やりがいのある仕事を辞めても、今後は夫婦水入らずの生活ができる。介護は大変でも、夫や息子と団結できる。悪いことがあっても良いこともある。人生プラスマイナスでできているのならば、前向きになる分ちょっぴりプラスが増えるはず。
夏の日、白い綿毛がフワフワと舞い落ちる様を見て、雪が降ってきたと喜ぶリンの横で微笑むメイ。感動的で美しいこのシーンに、普遍的な家族愛、人間愛をみた。美しいものは美しい、どんな事情があろうと家族は家族、メイも夫も息子も、あからさまに父を厄介者にしていたリンの実の娘さえ、皆リンのことを愛しているのだ。ラストシーン、リンがメイに渡す赤い花で、またメイの人生のプラスがちょっぴり増えた。そしてこんな幸せな映画を観た私の人生もちょっぴりプラスが増えているはずだ。