山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日

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山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日

レビューの数

2

平均評点

61.3(9人)

観たひと

12

観たいひと

4

(C) Gendai Production. All Rights Reserved.

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ / 戦争
製作国 日本
製作年 2014
公開年月日 2015/1/17
上映時間 102分
製作会社 (制作 現代ぷろだくしょん)
配給 現代ぷろだくしょん
レイティング 一般映画
カラー カラー/ビスタ
アスペクト比 アメリカンビスタ(1:1.85)
上映フォーマット デジタル
メディアタイプ ビデオ 他
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督山田火砂子 
脚本和田登 
来咲一洋 
山田火砂子 
中村敦夫 
原作和田登
(「望郷の鐘」(しなのき書房・刊))
エグゼクティブプロデューサー山田火砂子 
プロデューサー国枝秀美 
撮影長田勇市 
美術津留啓亮 
装飾田中真也 
音楽後藤やすこ 
主題歌朱花
(「僕たちは忘れない」(y-wish))
録音沼田和夫 
編集岩谷和行 
衣装佐藤真澄 
ヘアメイク小堺なな 
協力プロデューサー高瀬博行 
製作担当金子哲男 
助監督東條政利 
効果柴崎憲治 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演内藤剛志 山本慈昭
渡辺梓 山本千尋
山口馬木也 依田義彦
市川笑也 原田宗之
奥寺康彦 半田孝海
李麗仙 山本きぬ
星奈優里 山本冬子(周麗華)
斎藤洋介 畑山忠吉
小倉一郎 安二郎
堀内正美 堀越英介
磯村みどり マーメイ
勝又さゆり 夏目久美子
神田さち子 ソ軍通訳
上野神楽 山本冬子(幼少期)
松澤大輔 大澤義助
常盤貴子 美奈子先生

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ノンフィクション作家・和田登の著書『望郷の鐘』の映画化。シベリアでの強制労働から奇跡的に帰国し、その後中国残留孤児の帰国救済運動に尽力した教師・山本慈昭の半生を描く人間ドラマ。監督は、「大地の詩 留岡幸助物語」の山田火砂子。出演は、「瀬戸内海賊物語」の内藤剛志、ドラマ『和っこの金メダル』の渡辺梓。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

昭和20年5月1日、長野県下伊那郡会地村にある長岳寺の住職であり、国民学校の教師・山本慈昭(内藤剛志)は、3つの村の村長に説得され、1年だけという約束で満洲へ渡る。8月9日、日ソ不可侵条約を破り、ソ連軍が一方的に攻めてくる。8月15日、敗戦もわからないまま、女子供を抱えてシベリア国境近く北哈[口馬]の町より逃げるが、列車もなく、橋は逃走する関東軍によって破壊されていた。ロシア兵を避け平原ではなく山の中を歩く一行は、食料もなく、それは死の旅であった。ある日、一行はロシア兵に捕まり、勃利の街の収容所に入れられる。16歳以上の男性はシベリアに連れて行かれ、極寒の中、労働に従事させられるが、慈昭は奇跡的に一年半後に日本に帰国する。ようやく家にたどり着くと、阿智郷はわずかの帰還者はあったものの全滅で、妻と子供たちは亡くなったと知らされる。世の中が民主主義となり、大きく変わりつつある頃、慈昭は開拓団の仲間たちの記録を『阿智村・死没者名簿』としてまとめる。同じ頃、天台宗・半田大僧正に会い、長野県日中友好協会会長を引き受けることを聞いた慈昭は、平岡ダム建設のため強制連行された中国人のことを知り、遺骨を本国へ返す運動に尽力する。中国を訪れてから一年あまりがすぎた頃、慈昭のもとに日本人孤児から一通の手紙が届く。戦争で離れ離れになった子供たちが両親を恋しく思い、再会したいという気持ちが詳しく書かれたその手紙を読んだ慈昭は、目頭から熱いものがこみ上げる。満州で多くの日本人が中国人によって育てられていることを知った慈昭は、遺骨収集よりも生きている孤児の日本帰国救済運動に力を注ぐようになる。遂には国を動かし、次々と孤児が発見され、訪中の末その帰国や里帰りが実現していく。そして慈昭が83歳の秋、娘の冬子とようやく再会を果たす。冬子は慈昭と二人きりになると、あの満州のことを語るのであった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2015年1月下旬号

UPCOMING 新作紹介:「山本慈昭 望郷の鐘~満蒙開拓団の落日~」

2016/04/09

2016/04/10

65点

その他/足利市民プラザ・小ホール 


夕陽は、きれいだと思う人のものだ

 自分も満洲で過酷な体験をしながら、生涯を残留孤児の肉親捜しに捧げた僧侶、山本慈昭の物語である。映画を楽しむというよりは、映画と言う手段を使って伝えられるメッセージを受け止めるという感じでした。国家によって満洲に駆り出された満蒙開拓団は、敗戦によって見捨てられ、死の逃避行を強いられた。国家が総力を挙げて作り上げた大きな噓によって、多くの人が犠牲になったと映画は訴えます。
 私は大学図書館の司書として、所蔵する旧植民地「満洲」の関係資料を整理して、資料室を設置した経験がありますので、関心を持って鑑賞しました。強いメッセージ性ばかりが伝わって、娯楽としての映画とは一線を画するものと言えます。唯一映画的だったのは、逃避行の際に生き別れて残留孤児となった娘と慈昭が戦後やっと再会を果たす場面です。なつかしい故郷の地の落日の風景を二人で眺めながら、「戦争は夕陽までは奪うことはできない。夕陽はそれをきれいだと思う人のものだ」と語り合う美しいラストシーンでした。

【付記】
・会場となった足利市民プラザ・小ホールは、高年齢者でいっぱいでした。パイプ椅子がどんどん追加され、観客は150人くらいになりました。もっと面白い映画をやっている映画館は、閑散としているのに驚くばかりです。
・この映画は、実写版「はだしのゲン」などで知られる山田典吾・火砂子夫妻が設立した『現代ぷろだくしょん』が製作したものです。典吾が死去した後は、妻の火砂子が監督業も兼務して、メッセージ性の強い映画を作り続けています。有志の製作協力金を募りながら、全国各地でホール上映され続けています。次回作は、三浦綾子原作で小林多喜二の母の一生を描いた「母」だそうです。
・映画上映前に、出演した子役によるあいさつに続き、監督の山田火砂子の講演がありました。今年84歳になるというのに、杖をつきながらの登壇でしたが、ふくよかな体つきで、とても精悍そうで、自らの東京大空襲の体験を話しながら、戦争の悲惨さ、平和の大切さを熱く訴えておられました。

2015/08/23

2015/08/23

61点

映画館/宮城県/桜井薬局セントラルホール 


悲惨な境遇と不屈の精神

 終戦の3か月前、長野県の阿智村から満蒙開拓移民がソ連国境近くに送り込まれた。長岳寺の住職にして国民学校の教師をしていた山本慈昭は1年の約束で妻子を連れて開拓団に同行した。しかしその3か月後ソ連が参戦し阿智郷開拓団は命からがら逃げることになる。すでに関東軍は撤退しており、途中でソ連軍に捕まり収容所へ入れられ、成年男子はシベリアでの労働に従事させられた。しかし1年半の後に本国送還となり阿智村に戻った慈昭は妻子が収容所で中国内戦に巻き込まれ死んだことを知らされた。阿智郷満蒙開拓団の名簿を作り、未帰還者(死没者)を確認し、せめて遺骨を故郷に返したいと願っていた。寺の総本山の住職が日中友好協会の幹部に就任したのをきっかけに、ダム建設の強制労働で命を亡くした中国人の遺骨収集を行い中国へ送り届けたことをきっかけに、中国残留孤児からの手紙が慈昭のもとにとどき、実は多くの子供たちが死んだのではなく中国人に預けられ残されていることを知る。国に働きかけマスコミに働きかけ国交正常化の後に中国残留孤児帰国事業も始まる。そして死んだと思っていた長女が生きていたことを知り再会する。
 残留孤児の帰国者が今の日本では生活が出来ないことは別とし、山本慈昭が懇願されて満蒙開拓団に加わり、ソ連参戦から日本の敗戦を経るなか長い道のりを逃げ続け、それでもソ連軍に捕まり強制労働も経験し、ようやく故郷に帰ったのに妻子は死亡したと伝えられるその悲惨さ。そんな中、幼い子供たちが実は生きていたと知れば、その子たちをなんとしてでも日本へ故郷へ連れ戻したいという思いは当然のことに感じられました。それに対する国の対応は、軍人ではない、希望して開拓に参加したのだろう、という建前論と、国交がないため中国との交渉は出来ないという現実に阻まれて、実際の帰国事業は国交正常化まで待たざるを得なかった。そうなれば長い年月中国での生活をしていた孤児たちが日本語を忘れ日本の心をなくしていくのは当然すぎる結末でしょう。内藤剛志は年取ってからはこういういい人を演じるのにぴったりな感じでした。若い時から老人までを一人で演じていたけど、できれば戦中開拓団参加時代はもっと若々しい人の方が良かったかな。冬前にソ連参戦を迎えていたらもっとたくさんの人が死んでしまったかも。国内事情に関する描写には今一つな感じが多々ありましたが、開拓団が逃げ延びようとする描写には、悲惨な行軍をする軍隊とは違ったリアリティがありました。