ベン・ハー(1959)

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ベン・ハー(1959)

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レビューの数

114

平均評点

80.7(572人)

観たひと

865

観たいひと

55

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1959
公開年月日 1960/4/1
上映時間 212分
製作会社 MGM映画
配給 MGM
レイティング 一般映画
カラー カラー
アスペクト比 ウルトラ・パナビジョン70(1:2.76)
上映フォーマット 70mm
メディアタイプ フィルム
音声 6chステレオ

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

ルー・ウォレス将軍のベスト・セラー小説をカール・タンバークが脚色したスペクタクル・ドラマ。監督は「大いなる西部」のウィリアム・ワイラー、撮影はロバート・サーティース、音楽をミクロス・ローザが担当。出演は「メリーディア号の難破」のチャールトン・ヘストン、「大都会の女たち」のスティーブン・ボイド、ほかに、ジャック・ホーキンス、ハイヤ・ハラリート、サム・ジャッフェ、マーサ・スコットら。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

西暦1世紀の初め、ユダヤがローマ帝国の支配下にあった頃の話。ユダヤの都エルサレムにローマ駐屯軍の新将校が着任した。メッセラ(スティーブン・ボイド)である。彼はこの地の豪族の息子ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)と幼な友達だった。しかし、メッセラは立身出世主義者となっており、ベン・ハーと今は相いれなかった。ある事件からベン・ハーの一家がローマへの反逆罪に問われた時、メッセラは無罪の口添えをこわれたが、拒否した。ために、ベン・ハーの母と妹は地下牢に入れられ、ベン・ハー自身は奴隷としてローマ軍船へ送られた。途中、砂漠で渇に倒れようとした時、飲み水を恵んでくれた人があった。ベン・ハーはこの人を忘れなかった。ローマ艦隊が海賊船団と戦った際、ベン・ハーは司令官アリアスの命を救った。彼はその養子に迎えられたが、ユダヤの地に帰った。そこでハー家の財宝を守っていたサイモニデスとその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)にめぐり合った。エスターは、ライの谷へ送られていくベン・ハーの母と妹に出会っていたが、彼女らの願いで2人は地下牢で死んだと告げた。ベン・ハーは2人の仇を討つことを誓い、大戦車競争に出場し、メッセラを破った。重傷を負ったメッセラは母と妹はライの谷にいるとベン・ハーに言った。早速彼は母と妹を迎えた。途中、十字架を負って刑場に向かうキリストを見送った。砂漠で水を恵んでくれた人だ。今度はバン・ハーが1杯の水を捧げた。その行列を見守った母と妹は、病いが奇蹟的にいえた。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2010年9月下旬号

午前十時の映画祭:「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」

1960年6月下旬号

外国映画批評:ベン・ハー

1960年4月上旬春の特別号

外国映画紹介:ベン・ハー

1960年3月上旬号

新作グラビア:ベン・ハー

2025/04/24

2025/05/02

100点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズ海老名 
字幕


今にも続くこと、いや今だからこそ

ネタバレ

【午前十時の映画祭で鑑賞】
ローマ帝政時代、濡れ衣で母と妹が投獄され、自身も奴隷にされたパレスチナの地のユダヤ人富豪の青年が、家族との幸福を再び得ようとする。
軍艦の船漕ぎにされた青年は海戦で海軍総司令官の命を助けて信任を得、故郷へ帰る。彼を動かすのは家族-母と妹に会いたいという思いだが、同時に自分を陥れた旧友であり今やローマの軍司令官への憎しみを抱いている。その憎しみはエルサレムで開かれた戦車競走大会で軍司令官を打ち破り、死の病(今でいうハンセン氏病)にかかっているとはいえ、生きていた母と妹に再会しても消えない。
青年はローマを追い出さなければならない、という。
この場面で青年を慕う(同時に青年も思いを寄せている)召し使いの娘が言った言葉が印象に残った。
娘「力ずくで?」
青年「そうだ」
娘「流血は流血を、死は死を招く。際限がないわ」
(うろ覚えです。大体こんな感じ)
これは今にも続くこと、いや今だからこそ、と頭の中で響く。
続けて娘は丘で聞いたナザレの人(キリストのことです)の言葉“隣人を愛せ”を言うが、青年は釈然としない。
娘の説得で出た先で処刑されるナザレの人を家族とともに見たとき、青年は思い出す。かつて青年が連行される途中でローマ兵から報復される危険があるにもかかわらず水を恵んでくれた人だ。
青年から憎しみが消え、母と妹の病が治るという奇跡が起き、平穏が訪れる。
本作品はテレビで初めて見た中学生のとき、この場面で母は「あんた(僕のことです)、この(病が治る)場面の意味分かってるの?」と聞いた。ナマイキなチュー坊だった僕は「分かってるよ」とぶっきらぼうに言ってふてくされ、心の中で「正しい者には奇跡が起きるってことさ」と分かった気持ちでいた。
全然違うじゃん。肝要なのは憎しみを消すこと、隣人(=他人)を大切に思うことじゃん。50年以上たっての何という驚き。
この単純なテーマを伝えるために作品は3時間半という時間をかける。しかも、海戦あり、映画史上に残る大迫力の戦車競走ありの大スペクタクル作品だ。それだけこのテーマは大切であると同時に実現が難しいということなのだろうが、今なお実現されず、どころか、遠くなっていると感じるのは僕だけか。
過去の名作を今に見る意味というのはこういうところにもあるのかもしれない。
最後に 天国の母へ。あのときふてくされてごめんなさい。

2025/04/29

2025/04/29

75点

映画館/東京都/グランドシネマサンシャイン池袋 
字幕


2つの物語を一つにした作品

学生時代に多分自宅でソフトを観て以来、久しぶりの鑑賞。

ベンハーのタイトル表示の後「イエスキリストの物語」との表記があったが、後半のイエス登場についてはベンハーの母妹が疫病に感染して自宅の前でエスターと会話する場面が来るまで完全に記憶から消えていた。
4Kに加工する際に、強引にキリストと紐付けしたのかな、と邪推していたくらい。
それくらいベンハーの復讐物語としてのインパクトが強かったんだろう。

改めて観ると、ベンハーの復讐とイエスキリストの奇跡のお話は別の物語で、2つの物語を併せた映画だなぁ、と思う。
21世紀に観るとベンハーの復讐物語はもはやテンプレ化されていて、この映画じゃなくても他の映画の経験から既視感を感じる方は少なくないだろう。
ただ、それでもメッセラとの戦車レースの場面は興奮する。ベンハーといえば、このレースシーンじゃないだろうか。

一方ほぼ忘れていたキリストを絡めたもう一つの逸話は、私が年齢を重ねたこともあり、前回以上にグッと来たように思う。

ただなあ、全米ライフル協会のトップだったチャールトン・ヘストンが主人公を演じていることもあってか、どうも狂信的なアメリカ第一主義映画のような印象が取り払えない。
妄信的なキリスト教福音派のような信仰、「目には目を」的な武力による復讐讃歌が映画全体に漂っていて、現アメリカ・トランプ政権の信仰的な支援の背景にある薄気味悪さの根底はこの映画にあるんじゃないか、と感じていたことも事実なんだよなぁ…。
こりゃ、アメリカもイスラエルも戦争や武力を利用した対話をやめないだろうな。

この映画、実は私の母親が好きな映画だったらしいのですが。。

2025/04/26

2025/04/26

77点

映画館/東京都/TOHOシネマズ日本橋 
字幕


4Kスクリーン鑑賞は圧倒的。やはりスクリーンで見るべき作品

スクリーン鑑賞は圧倒的な迫力。本作はテレビ画面では収まりきらない格がある。ストーリー自体は、キリスト教圏で育っていない自分には味わいきれないところがあるのは否定できない。それでもハリウッドの歴史遺産として、4時間近く堪能しました。

2025/04/25

2025/04/25

90点

映画館/石川県/イオンシネマ金沢 
字幕


「十戒」も見たい!

「午前10時の映画祭」で久々の鑑賞。小学校の頃から何度見た事だろう。当時、親に買ってもらったLPのサウンドトラック盤も何度聴いただろう。
まず序曲が流れ(映像は無し)、本編の途中にはインターミッション(休憩)、こんな作品、今ではちょっと見当たらない。
それでも今回気が付いた事、思い出したことがありました。メインタイトルの後に、「イエスキリストの物語」とあった。これは知りませんでした。今までは字幕が無かったのかも。
そしてラストは、「ハレルヤ」の合唱、これは思い出した件。
今さら内容をとやかく申す気はさらさらありませんが、なんとなく古臭く感じたのは僕だけ?そりゃ60年以上前の作品だもの。でも、これでマイナス10点。
ところで、「午前10時の映画祭」は、なんで「十戒」を上映しないんだろう。してませんよね?何か、契約の問題でしょうか?

2025/04/10

2025/04/11

80点

映画館/神奈川県/TOHOシネマズららぽーと横浜 


キリストの視点で視る復讐劇

映画館のスクリーンで観ると、この上なく面白い。
スター・ウォーズはじめ、現代スペクタクル映画の基本形を魅せつける前半は相当に面白い。
やっぱ皇帝はダークサイドでないとね

Return of Judas だし、やっぱりスターウォーズを感じてしまう。

そして、後半は一変して、ユダヤにとってのキリスト感を強烈に描いた映画に変わる。

前後半で全く違う映画にも思えるのだが、
復讐を果たしても、喜びにはならないという宗教観という意味で、相当に通じるものなのだろう。

2025/04/05

2025/04/05

-点

映画館/東京都/イオンシネマ多摩センター 
字幕


「これが始まりなのだ」

午前十時の映画祭15は「ベン・ハー」で開幕。
ローマ帝国支配下のイスラエルを舞台に、ユダヤ人貴族ジュダ・ベン・ハー(演:チャールトン・ヘストン)の数奇な運命とイエス・キリストの処刑と復活を描くスペクタクル超大作。同年のアカデミー賞では作品賞ほか11部門を総ナメにし、この記録は2025年現在でも「タイタニック」(1997)、「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」(2003)と並んで最多タイ記録のタイトルホルダーである。私事だが、これにてアカデミー賞最多受賞記録保持作品を全制覇した。
噂には聞いていたが、想像以上に「ファントム・メナス」だったし、かと思いきや知らず知らずのうちに「もののけ姫」に物語が変わっていった。
ここから先は少し失礼な表現が続くので事前に謝罪する。
本作の圧倒的なスケールは素晴らしいし、恐らくはアカデミー賞の受賞レースでも横綱相撲だったとは思う。引用されることの多い戦車競技のシーンも凄まじかった。
しかし洋の東西、そして宗教観いずれも部外者である身からすると話が進むにつれて寒気がしてくる作品ではあった。2025年という、観たタイミングもあったとは思う。
そう遠くない昔、我が国では宗教と国家が対立したことがあった。結果として少なからず死者も出た。それは奇跡を信じた行き過ぎた個人崇拝から生じたものであった。勿論イエスが同じだと言うつもりは全くない(そもそも違う)。しかしこの物語の舞台の時代からすると、特にローマ人にとっては似たような映り方をしたのではないかと思うのである。そして今日の世界観も長い年月をかけて形成したからこそ受容されたものであり、やはりその間に多くの血が流された。ある話では、有史以来最も生命を奪った存在は「神」なのだそうだ。しかもその数は悪魔に対して文字通り桁違いの差をつけているという。
そんなことが頭をよぎって、後半には個人崇拝に対して非常に抵抗をおぼえた。少なくとも自分には「八百万の神々」の方が合う(その割にはモノ使いが荒いなオイ)。
演出上の問題なのか、あるいは制約があったのか、イエスは後ろ姿ばかりで最後まで顔を映さない(個人的には後者の理由によるものと思う)。しかしイエスとジュダの、いち人間同士による水のやりとりには目頭が熱くなった。あれを観ただけでもチケット代を払う価値はあった。いくら心が荒もうとも、喉の渇いた人間に水を差し出すくらいの慈悲は持ち合わせたいものである。