悪魔の命令

あくまのめいれい|The Devil Commands|The Devil Commands

悪魔の命令

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ジャンル ホラー /
製作国 アメリカ
製作年 1941
公開年月日 未公開
上映時間 65分
製作会社
配給 ブロードウェイ
レイティング
カラー モノクロ/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

エドワード・ドミトリク監督によるホラー。人間の脳波に関する研究を行うブレア博士は、妻を亡くした悲しみから死者と交流する実験に取り憑かれていく。知的障害を持つカールと霊媒師のウォルターズ夫人は、博士の研究を密かに手助けしていたが…。【スタッフ&キャスト】監督:エドワード・ドミトリク 出演:ボリス・カーロフ/リチャード・フイスケ/アン・リヴィア

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

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2021/05/18

2021/05/19

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こちら、エドワード・ドミトリク「恐怖の殺人養成所 Hitler's Children」(1943)のレビューです

2021年5月18日に鑑賞。DVDにて。1時間22分09秒。スタンダード・黒白。RKO RADIO PICTURES。一部、ドイツ語。評価75点。

・「恐怖の殺人養成所 Hitler's Children」(1943)
監督:エドワード・ドミトリク、脚本:Emmet Lavery、原作:Gregor Ziemer「死の教育 EDUCATION for DEATH」、撮影:ラッセル・メティ、音楽:ロイ・ウェッブ。

出演:ティム・ホルト(カール・ブルーナー中尉)、ボニータ・グランヴィル(アンナ・ミュラー)、ケント・スミス(ニコルズ先生)、オットー・クルーガー(ゲシュタポのヘンケル大佐)、H・B・ワーナー(司教)、ロイド・コリガン(フランツ・アーハート)、Erford Gage(シュミット医師)、Hans Conried(グラフ医師)、Gavin Muir(Nazi Major)、Nancy Gates(ブレンダ)ほか。

ナチスの強制収容所ではない「女子収容所」へ入れられたドイツ生まれのアメリカ人と幼馴染のゲシュタポ中尉の苦悩を描く。一番興味深いのは女子収容所の描写である。女性たちはここで「見合い」を強制されて身ごもらせられる。「国のために子供を産むのは誇りです。国家と総統のために子供を産みます。ハイル・ヒトラー!」ドイツ人の原作があるから、これは事実なのでしょう。それを拒めば。強制不妊手術が施される。「手術によって国家に不適合な『思想』も排除できる。罪を次の世代に受け継がせないためだ」

ナチスの自分たちに都合の良い言説が続く。これは今の政治家の言い分と正しく同じである!

開巻のヒトラー・ユーゲントたちのキャンプファイヤー。「我々はヒトラーに命を捧げます」指導者「ヒトラーの子供たちよ。今日は神聖な日だ。地球が最も太陽に近づいた。太陽を崇め奉る日だ。我々を照らす太陽はアドルフ・ヒトラー。我々も太陽に近づき太陽に命を捧げるべきだ」少年たち「ヒトラーに人生と命を差し出します。私の救世主、総統!」

ベルリンのアメリカン・スクールの教師ニコルズ「1933年当時のベルリンは平和な都市だった」アメリカン・スクールの隣りに、ドイツのエリート養成学校(Horst Wessel Schnle)があった。アンナとカールはそこで反目し合いながら惹かれ合う。

シュミット教官(地理の授業)「ここがポーランド回廊である。ヴェルサイユ条約でドイツは敵国に大切な国土を奪われた。10倍取り返す。ドイツを支配する我々が世界を制する。我々は生まれながらの支配者だ。ドイツ人だけが下等な民族を支配できる。我々は復讐するだけだ」

ナチスドイツの主張が続く。1933年国連脱退。1936年3月ラインラント侵攻。1938年3月オーストリア侵攻。「オーストリアを支配するためではなく、解放するために来た我々は平和を望んでいる」→正に、今のロシアや中国の言説と同じだ!

1938年10月チェコスロバキア侵攻「我々は友好関係を築くためにやってきた。世界平和を望んでいる」1939年5月イタリアと軍事同盟、ポーランド侵攻「我々は新ドイツだ。新秩序を築きあげる」

他にもナチスの主張は続く。

★この組織は、1936年に創立された『レーベンスボルン(Lebensborn)「生命の泉(生命の泉協会)」』である。ヒトラーはドイツ民族強化問題帝国長官であるヒムラーに全権委任した。1938月3月24日にミュンヘンで裁判所に正式に登録され、親衛隊の一部となり、親衛隊帝国指導者ヒムラーに直属する。代表者はマックス・ゾルマン、インゲ・フィルメッツ。目的は親衛隊員にできるだけ多くの子供を持たせ、アーリア人の良き血の母親と子供を助け、未来のエリートを育てることである。

1940年ノルウェーを占領すると、ドイツ兵とノルウェー女性に産ませた子供は帝国の宝とされ、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクにも拡大される。

ヒトラーは「既婚・未婚女性を問わず35歳までに4人の子を純血なドイツ人男性との間につくることを義務とする。その際男性が妻帯者かは問われず、既に4人の子がある家庭は男をこの活動に差し出さなければならない」「最も優れた人間である親衛隊員は26歳までに結婚することを義務とし、長く独身でいたり子がなかった場合は罰金を課す」とした。

「レーベンスボルン」は約1万の会員を擁する11の支部からなる。会費は男性個人会員が約12ライヒマルク、法人が30ライヒマルク。1942年以降は親衛隊員は全員加入が義務づけられる。女性はアーリア人種の特徴が祖父母の代まで認められた遺伝的資質の優れた者で、「ドイツ女子会」などから選ばれた若い女性が相手の選択の余地はなく、ただ子供を生産するためだけに結ばれた。後に、ドイツ女性だけでなく、他民族の女性に強制力を持って及んでいく。子供が生まれると国家が養育するので母親から引き離され「子供の家」に送られ、7歳になるとレーベンスボルンと緊密に協力する国民学校に入学する。生産された子は、約4万人と推定されている。

★「レーベンスボルン」のもう一つの活動は、他民族の子供の誘拐、掠奪である。子供を組織的に生産・飼育しても時間がかかり過ぎる。1940年ヒムラーは東方の6歳~10歳の子供を人種選別する計画を立てる。「選別された子供はドイツに運ばれ、姓名をドイツ語に変えられた後、法律上もドイツ人と同等に扱われる」1941年後半から掠奪が行われる。「人種的ドイツ人移住センター」を経由し「レーベンスボルン」に渡された。