若い頃(1980年代)にアメリカ映画を見てきた私にとって、ひときわ胸にジーンとくる。後に活躍する多くの名優を輩出した名作。
ネタバレ
舞台は、1935年の大恐慌時代のテキサス州の小さな町。年代的・地域的に、男性優位、人種差別が公然とあった。当作品内でも、集団リンチやKKKなどが描かれる。
そんな時代背景で、夫が突然死に、家事と子育てしか経験の無い主婦が子供二人を抱えて奮闘する姿を描く。頑張ってます感を前面に押し出すのではなく、さらっと描き切るところが、とっても良い。いや、頑張ってます感も出てるんだけど、サリー・フィールドの悩んでる姿や意を決する姿がとても胸を打つ、私の感情を引き付けるのだ(演出過剰だと、見ている側が置いてけぼりになってしまいますもんね)。
そして、一緒に住むことになったのは、黒人(ダニー・グローヴァー)と盲者(ジョン・マルコヴィッチ)。いわば、未亡人、黒人、盲者という(当時の)社会的弱者のタッグが、厳しい生活から微かな光を見出していく物語なのだから、庶民の私としては爽快だ。彼は、最初は牽制しながらも、徐々に信頼し合い、安心し合う姿が本当に清々しい。この醸成を丁寧に描いているのが、当作品の素晴らしいところ。オスカー脚本賞の受賞は、ここにあるのだろう、思った。
銀行は、経済理論的に家を売れと言う。でも彼女は家族と離れ離れは嫌だと、自分の気持ちを最優先で突き進む。いよいよ借金返済に窮した時、綿花バイヤーを動かし言葉が「あなたのお父さんが守り続けた早摘み一番の座を、あなたで今年で終わりになるわよ」という心情に訴える。最後の人間の判断は、奥底にある芯の感情なんだ。それを信じて・それに突き動かされて自分を通した彼女の姿に、観客である私の芯も動かされた。
ラスト、皆で教会でワインを飲むシーン(亡くなった方々も、生きている人たちも皆一緒)が素敵。こうありたい。
備忘メモ:
盲者のジョン・マルコヴィッチが外を走るのに、紐を伝うのは良いアイディア。また、彼は音に敏感なので、季節労働者が大勢来たり、KKKの奴らが(実は)身近な人達だと声で判別したり出来る。
お湯を触ってしまい、サリー・フィールドが入浴中だと分かるシーンは繊細で良かった。これで、少し距離感が近くなったかな。
「どんな姿?」と聞かれ、心がほぐれるシーンも目頭が熱くなったなぁ。
それにしても、子供たちが生きる糧になる。
教会を遠景にした最初のシーン、ラストまじかでも登場した。絵になる。
思えば、後に活躍する多くの名優を輩出した作品だなぁ、と感心した。