ランナーと言えどもそれほど走り続けているというわけでもない。ハリソン・フォードが演じるデッカードには序盤から既に疲れが見えている。ラストにおいてもその疲れが回復したとは言い難い。この走り続けてもいないのに疲れ果てている世界では何が起こっているのだろうか。
ルトガー・ハウアーが演じるレプリカントの頭目は、一方で生き生きしているように見える。言葉は少ないが、壁という壁を突き破り、どこか芸人を思わせるような元気のよさもある。それは寿命あるいは消費期限が既に切れそうになっていることに関係しているのだろうか、人間のような寿命の不確かさからは解放され、精一杯にその短い生を全うしようとしているかにも見える。
世界には雨が降り、雪が降る。赤く染まった部分、黄色に彩られた部分、青く沈んだ部分など色彩にはトーンがあるが、いかがわしさも感じられる。ビニールが多用され、ガラスも多く、こうした透明性を嫌ってかブラインドが提げられ、光量を調整もしている。ネオンが煌々と怪しく辺りに色を与える一方で、ファンが回り続け、画面を明滅させている。傘が回っているようには見えないが、モニターは各所で何かを現像している。眼球には虹彩が円を描いて現れ、雨に導かれるように涙が溢れ出すこともある。2019年のロサンゼルスにもアジアのテイストはあり、飛行する物体もある。フクロウがいて、カメもいる。魚と蛇もさることながら、美女と野獣が語られる。老化と記憶がテーマに絡み、炎がいつもどこかで燃え、忘却の淵の奥底を照らしていてくれるような懐かしさもある。文様と文字が壁面を埋め、壁面の間に現れようとしている。パンツ一丁で闊歩するレプリカントは野性的でもあるが、既に路地には野生がどこからともなく小走りに溢れ出しており、文様文字はそれらを都市に絡めとろうとしているかに見える。記憶や感情はしかしその網目からも練り出されようとしている。追跡され浄化される魂は、こうした都市の諸過程を経て、燻蒸されているのである。