この映画を劇場で初めて鑑賞して、特に音響効果においてこれほどまでディテールにこだわっていることを実感できた。城の塔で対峙するときの風の音が特に印象的。
しかしやはり、この映画には多くの古い映画から取り寄せたシーンが集い、そして宮崎駿監督がその後の「ナウシカ」や「ラピュタ」へとつながるアイデアをここで試験的に採用していることがよくわかった。城の階段を上と下でぶつかり合うシーンはまるで『隠し砦の三悪人』だし、時計塔の歯車は『モダンタイムス』だ。
宮崎駿監督の作品に潜む歴史感は、その時代の経済を反映させる。ときの政治と経済にまつわる理解がないと、こういう映画は作れない。ただ楽しませるだけでなく、背景に作りての意思があるから、見るたびに新しい発見ができるし、みればみるほど面白くなる。
この映画のラストで、海底に隠されたローマ帝国は、何を象徴するか。ローマが滅びた理由のひとつは経済だ。経済が弱くなると、政治が独裁化し軍部がそれに同調して力をつける。そのせいで、弱体化した経済を隠し、衰退の実情を見えにくくして、気がついたときには手に負えない状態になっている、というわけだ。宮崎駿監督が果たして何を意図してこの時代にこの映画を作ったかはわからないが、チャップリンの『モダンタイムス』をモチーフにした時計の歯車は、モーレツ社員で経済成長の果実を強引に掴み取ろうとする日本と世界の実情を反映しようとしたのではないか。『隠し砦の三悪人』から切り取った階段の衝突もまた、政治と民意の対立ととることができる。
ゴート札、というツールは、考え方によってはその後のバブルを予兆させるものであり、インターポールの会議で銭形警部が板挟みになるなか、東西冷戦下にあって当時の国どうしが衝突して話しがまとまらない、というシーンは極めて重要だ。これは高度に政治的な映画だ。
預言者、宮崎駿にとって、ここでルパンをおとりにしつつ、銭形警部が抱えるトラウマのようなものも見え隠れする。白骨が並ぶ地下に、日本兵の存在がほのめかされる。これは「失敗の本質」を示す。日本軍が敗戦に向けて転落する過程で、名もなき兵士が死んでゆく。レイテ島やフィリピン戦線における狂気的な状況の日本兵をここで示すことで、戦時中の日本とローマ帝国の崩壊、そして世界の混乱などをダイナミックに示している。映画はロマンチックに描かれているものの、ひとつひとつの内容は極めて現実的だ。
ラストで国家の崩壊を示すことで、人間の愚かさを露出させる。その後ナウシカ以降、生涯をかけて宮崎駿監督が伝えようとする社会のジレンマを、すでにこの時示していたのである。