公開当時、スクリーンに映し出された“2015年の未来”。
あの頃の私は、その30年後の世界をワクワクしながら覗き込んだ一人だ。ホバーボード、空飛ぶクルマ、乾燥機にかけるように瞬時に乾くジャケット……。未来は一気に生活様式が変わる、そんな期待に満ちて映画館の座席に座っていた。
しかし、その未来設定からさらに10年以上経った現実の2025年。
空飛ぶクルマはまだ実用化されていないし、家の中はそこまで劇的には変わっていない。それでも、当時この映画が提示した“未来像”は、時代の空気と希望をほどよく反映した“ちょうどいい未来”だったように思う。
個人的に面白かったのは、街の廃棄物にレーザーディスクが混ざっているところや、2015年になってもブラウン管モニタが当然のように健在だったところ。当時の未来想像の限界と愛嬌が同時に見えて、今見返すとむしろ微笑ましい。
ただ……そんな細かいことは本質ではない。
『PART2』の魅力は、何よりあの“近未来へ来たぞ!”という高揚感にある。公開時の私は、この2015年パートがたまらなく好きで、パート3より断然面白いと感じていたのをよく覚えている。そして、その後に展開される改変された1985年パートや1955年パートが、どこか地味で冴えなく感じられたのだ。
ところが年月を経て、現実の2015年を経験した今、再び『PART2』を観ると感じ方が変わる。“未来感”を楽しむだけの一本ではなく、三部作全体を支える極めて重要な「構造の要」であることが見えてくる。特に、複数の時代を往復させて物語を多層的に組み立てていく脚本の巧みさは、今の視点の方がむしろ強く味わえる。
未来に胸を躍らせた若い頃の自分と、現実の未来を知った今の自分。
二つの視点で“同じ映画を二度観る”という、他の作品にはなかなか得られない体験を与えてくれる——それが『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の特別さではないだろうか。