中一の頃、そんなふうに気がついた。
本音も建て前も嘘ではなく、
歯の浮く社交辞令だって口にした本人の一部である。
私たちは発音する直前に見せるトゲを選んでいるのである。
すべては本人の一部なのだ。
だが私たちはなかなかそのことに割り切れない。
「心にもない」セリフを発してしまったと後悔する。
本当に言いたいことはこれではなかった。
もう少し言葉を吟味すれば良かった。
と悩む。
その結果、私たちの中にくらやみができあがる。
同郷の男達三人が痛飲している場面で、
「もう戦争をしてはいけない」と語るその時に、
流れる音楽が『軍艦マーチ?』だったことは、
男達の戦争体験を想起させると観てもよいけれど、
私は彼らウニたちの二通りのトゲ、
つまり大東亜戦争の「理想」に鼓舞された自分と
失った子供達への哀切からの反戦の気持ちとの、
両方のトゲのことなんだと受けとめた。
でもね、
たくさんのくらやみを抱えた人は素敵。
そうは思いませんか。
笠さんも杉村さんもそうだけど、
原節子さんがそのくらやみをもっとも体現する役どころ。
終盤の「私はずるい」の連発。
戦死した息子の良い嫁として在り続けたいのも本当。
生身の連れ合いと寄り添って生きたいのも本当。
素敵ですよね。
ここにおいて本作は最大の普遍性を獲得しているのです。