人の心に巣食う閉鎖性を鋭く抉った作品だ。ラストの森の中でのシークエンスは、マッツ・ミケルセンならずとも驚かされ、見ていて心拍数が上がった。
マッツ・ミケルセンが演じる主人公ルーカスは、学校教師だったが経営的な問題で今は系列の幼稚園教諭をしている。妻とは離婚し息子のマルクスと唯一接点がある。ある日、ルーカスは、親友の娘で幼稚園に通うクララから好意を持たれる。が、贈り物も受け取らない堅物のルーカスに幼いクララは、失望する。そんな中で何気なくクララが園長に語った話とはルーカスに性的な虐待を受けたとも取れる嘘だった。「子どもは嘘をつかない」という固定観念が一人歩きしてルーカスの冤罪は幼稚園から地域へと広がっていく。やがては、ルーカスは小さな町からスポイルされる。
トマス・ヴィンターベア監督の『アナザー・ラウンド』は、ある意味でデンマークの国民性を垣間見ることができる作品だった気がする。遅ればせながら見た本作、こちらの方がテーマにいくらか普遍性があるように思う。
日本だって犯罪者や容疑者でさえそれを生んだ家族を含め地域から陰湿なバッシングを受けひとところに根を下ろした生活は出来ない現実がある。
途中まで容疑者の人権はどこで守られるのかとハラハラしながら見ていたが、主眼はどうもこうした社会的問題提起というよりも地域社会に根付く閉鎖性にあることが衝撃のラストで浮き彫りとなる。デンマークの男たちの絆の結び方には独特なものがあり、これはアナザー・ラウンドのうだつの上がらない教師仲間の関係へと繋がっていく。男同士の関係がすごく強い国なんだな。しかし、その深い絆も町の閉鎖性ゆえにもろくも崩れていく様が恐ろしい。ドグマ95の同志、ラース・フォン・トリヤーが『ドッグヴィル』で描きたかったことがこの作品を見ていて今更ながらによくわかった。