シネマヴェーラでは川島雄三の特集が組まれていますが、殆どは観たことがある映画ばかり並ぶ中、この映画だけは観たことがなかったので、会社をちょっと早めに退出して足を運びました。
丸の内あたりにあるという設定のビルを俯瞰気味に捉えたクレーン・キャメラがビル出口に回り込むように動くと、中から出てきた龍崎一郎が玄関に停めてあった車に乗り込み、隣に座った紙京子の存在をチラリと見たあと行き先の料亭の名前を運転手に告げ、車は走り出しますが、そこで紙京子が龍崎に対し“失礼ですが車をお間違えのようですわ”などと語ります。紙は会社の同僚を待っていたのですが、龍崎はお迎えの車に違いないと勝手に解釈し、料亭に急いでしまったというわけです。引き返そうかと言う龍崎に対し、ここまで来たら結構ですと紙が応え、龍崎は今回のお詫びとして、近く食事をご馳走しようと語ります。中年男・龍崎の貫禄に、紙京子は早速魅力を覚えたようです。
紙京子は某商事会社の渉外係女性社員、龍崎一郎は証券会社の専務という設定です。紙には何かと気にかけてくれる同僚の経理課員・大木実がいますが、紙のほうは大木には全く興味がなく、年上の男・龍崎のほうに興味があります。その龍崎は、料亭女将・市川春代と浅からぬ関係を結んでいるようですが、何かと自分に近付いてくる紙京子と適当に遊んでもいいかと思っている節もあります。その龍崎は、勤務先の証券会社・社長の夏川大二郎の反対に遭いながらも、大阪の某会社への出資話を進めようとしており、それには元大臣という政界の黒幕・進藤英太郎の協力が不可欠のため、進藤に取り入ろうとしています。その進藤は、小唄の師匠・幾野道子に入れ揚げており、小唄の稽古に余念がないのですが、その幾野は紙京子の実の姉であり、なんと幾野と龍崎はかつて付き合っていた恋人同士だったという設定です。
こうして、些かご都合主義的な偶然が重なった、しかも入り組んだ人間関係(登場人物が片手では済まないくらい多いというのが、川島映画の特徴ですから、この映画もその例に洩れません)のドラマが展開するわけですが、ともすると立ち止まって人間関係の整理をしたくなってしまうところ、川島はとにかくスピーディーに話を進めてゆき、グイグイと観る者を引き摺りこんでしまいます。
ヒロイン・紙京子のキャラクターは、生意気で鼻持ちならないアプレゲールという感じで、姉・幾野道子や同僚・大木実の心配をよそに、中年男・龍崎一郎の尻を追い掛け回し、結果的に龍崎の情婦・市川春代から手酷い言葉をぶつけられ、自尊心を傷つけるという役柄であり、観ているこちらが頬っぺたの一つでも引っ叩いてやりたいと思うほどのバカ娘なのですが、川島雄三は、そんなアプレ娘が蒙る災厄を映画の後半で見事に捌いて人間関係もスッキリとさせてしまうのですから、その手綱捌きの見事さに感心します。
わたくしの友人は、この映画についてmixiで次のように呟いておられます。
“八住利雄の凡庸な脚本だが、テンポもメリハリも利いて、面白く見せる。凡庸な脚本ほど、監督の力量が問われる。”