「...完璧に治ったね」
午前十時の映画祭15。
初めて<ビディー>ったのは19歳の頃、放課後の大学の階段教室にスクリーンで映してもらった。事実上の貸切状態。そりゃあもう<ガリヴァー>が<スパーチカ>したものさ。あの"What a glorious feeling"は今でも忘れない。以来すっかりキューブリックの虜。
それから16年経って、今度は正式なスクリーン。いいタイミングで<ビディー>ったと思う。話題が脇道に逸れるが、少し前にSNSにおいて「学校内でのいじめ動画」が拡散した。SNSにそんな動画を投稿する時点で救いようのないアホだ。当然炎上を招き、学校から教育委員会から大人達が説明に奔走する事態に至った。別にいじめを肯定する意図は全くないし、ここで是非を議論するつもりもクソほどもない。だがしかし個人として最も胸糞が悪かったのは、匿名で「許さない」などと非難を浴びせ、当事者の個人情報から何から勝手にアップロードをし、果ては教育委員会にまで誹謗中傷の電話を畳みかけた第三者である。このうちの何人が、これまでの人生で(見て見ぬふりも含めて)いじめに一切加担したことがないと胸を張って断言できるのか。直接にせよ間接にせよ君達だってかつてはその<ドルーグ>のひとりだったのではないか、そう思うとこいつらの<ヤーブロッコ>の<マレンキー>ぶりが実に不愉快極まりなかったのである。
さて、脇道に逸れ過ぎたのでそろそろ荒治療を施して元の軌道に戻そう。つまり本作もそれに近い。結局どこまで行ったって、生物の本能は「残虐性」にあるというのが持論だ。そりゃそうだ、食わなければ食われるのだから。強いて言えば主人公アレックス(演:マルコム・マクドウェル)は、バイオレンス以外には何の才能もなく、「一般人」なら当たり前のように持ち合わせている「本能の見せ方/隠し方」すらロクに身につけられなかった哀れなクソガキなのである。そして穿った見方をさせてもらうならば、あれだけ荒廃した社会で夜間にカーテンと戸締りもまともにやっていない「一般人」の方にも問題がある。結局それぞれがそれぞれに当然の報いを受けたわけだが、その過程で暴力のウエイトが螺旋を描くようにシフトしていくところに本作の巧さと面白さがあると個人的に感じるのである。
哀れなアレックス、だがしかしベートーヴェン好きの朋輩として君を見捨てることはできない。ベートーヴェンを愛する者にロクな奴はいないが、同時にいなくなっていい奴もいないのだ。ちなみにモーツァルトを愛する者は悪魔しかいない。君は素直すぎるのだ。だからアレックス、どうかこれからも私の<ドルーグ>でいて欲しい。また「雨に唄えば」を一緒に歌おうな。