「親」と同様、逓信省簡易保険局の委嘱によって作られたPR映画で、こちらは郵便年金制度の宣伝が目的になっており、「親」では共同監督としてクレジットされていた大久保忠素が脚本を書いています。
物語は、田舎の村で燻っている青年・結城一朗が、東京に出て大学に入りさえすれば自分の人生は拓けるという思いを募らせ、東京から日守新一扮する大学生が帰省してくると、そんな思いをより一層強めるばかりで、結城は、農家を一人で支える母・鈴木歌子や許嫁・川崎弘子を村に残して、東京に出てゆきます。
主人公の結城一朗が田舎道を歩いていると、彼が通った小学校の校長・坂本武(一貫して結城の応援者です)が自転車に乗って道の反対側からやって来るロングショットなど、清水らしさが感じられますし、東京に出たい結城と母・鈴木歌子が田舎の家の縁側で会話する場面なども、ロケの効果が出ています。
さて東京に出た場面のすぐあとには、もう卒業後の就職活動をしている場面が描かれ、丸の内のビルディング群が捉えられますが、結城一朗が抱いていた“大学を卒業さえすれば”という考えの甘さを思い知らされます。描かれるのは、ある会社の人事担当者と結城の面接場面の1回だけですが、人事担当者が“大学を失業すれば就職などなんとかなると思っていたら、それは甘い考えだ”とかなんとか指摘して結城を部屋から追い出すと、その外には10人以上の学生たちが次の面接の順番を待っているという場面を作り、就職難を表現します。
結城一朗は結局、小さな倉庫会社に就職し、上司・小倉繁から次々と伝票を回され、その処理にあくせくする様子が描かれる一方、田舎の郷里では、結城の許嫁・川崎弘子が鈴木歌子の面倒を見ていましたが、結城が早く女二人を東京に呼び寄せて3人暮らしを始めなければ、田舎での生活はこれ以上続けられないと、川崎の父親・木村健児が別の縁談を持ってきて、結城との婚約を解消するよう娘・川崎に迫っており、断りきれない状況です。
そんな中で、結城一朗が田舎に帰ってきます。母・鈴木歌子も許嫁・川崎弘子も、結城が自分たちを東京に連れて行ってくれるものと喜びますが、結城が持ってきたのは、大学の卒業証書と健康不全を理由とした倉庫会社の解雇通知でした。夢破れ、身体も壊し、もはや自分の力では母・鈴木と許嫁・川崎の生活の面倒を見切れることはできぬと諦めた結城は、川崎が別の縁談を受け入れることも受容しようとしますが、その時、鈴木歌子が箪笥の奥から出してきたのは、亡き夫が掛け続けてきた郵便年金の通帳で、近く鈴木歌子名義での支払いが開始されることを示しており、結城は、これで3人の生活は保障されたとして喜び、身体を治すことに専念できることになります。
安直なラストについて、フィルムセンターの場内では失笑が上がっていましたが、わたくし個人としてはそれほど嘲笑するような内容とは思わないものの、「親」と比べると作りが安直だとは思います。
とはいえ、「映画読本 清水宏」の解説で田中眞澄氏が書いているように、小津「大学は出たけれど」の原作を提供した清水が、自ら作ったもう一つの「大学は出たけれど」物語として、自然描写を交えながら組み立てている点などに、清水らしさを感じて微笑を誘われます。