1940年のアメリカ映画。公開当時のタイトルは「チャップリンの独裁者」。フォーエバー・チャップリン~チャールズ・チャップリン映画祭~inフォーラム仙台でデジタルリマスター版を鑑賞。第一次世界大戦で敗戦の色濃いトメニアの一兵卒として前線に立つチャーリーは偶然空軍将校のシュルツを助けるがその際の事故が原因で記憶を失くし入院を続けていた。敗戦後のトメニアではヒンケルが政権につきアーリア人の世界を構築せんとしユダヤ人の迫害を始めていた。記憶の戻ったチャーリーは政変を知らず床屋を再開しヒンケルの突撃隊に抵抗していた。しかし突撃隊に吊るされそうになったとき突撃隊指揮官となったシュルツが現れチャーリーには手を出さないよう命ずるのだった。隣国オスタリッチへの侵攻を画策するヒンケルはユダヤ人豪商に資金援助を申し出るため一時的にユダヤ人迫害をやめていたが断られたため迫害を再開する。それに反対したシュルツは失脚しユダヤ人街に身を隠すがチャーリーとともに捕まり収容所へ送られてしまう。シュルツとチャーリーは士官の軍服を盗んで脱走、一方ヒンケルは鴨狩をしていてチャーリーと間違われ警備兵に捕まってしまう。シュルツとチャーリーはオスタリッチ侵攻軍に迎えられ軍や住民に向かって演説をすることになる。そこでチャーリーは独裁者にはなりたくないといい、自由と民主主義を守るため立ち上がろうと叫ぶのだった。
この作品が第二次大戦中というかドイツがポーランドに侵攻した頃に作られたことが一番の驚きですね。アーリア人優性主義はアメリカではどういう風に映っていたんでしょう。まあユダヤ人排斥に対してはかなり批判的にユダヤ人に対して同情的に見ていたのでしょうが。それにしてもチャップリンの先見の明なのか、すでに世界情勢としてヒトラーはそうみられていたのか、ヒトラーの描写が後の彼を扱ったコメディに大いに影響を与えていたように思えました。昔見たときは地球儀で遊ぶシーンと最後の演説ぐらいが印象に残っていたのですが、突撃隊の隊員たちが、ユダヤ人迫害停止に時期にはとてもやさしかったのが印象的で、チャップリンは国民全員がユダヤ人を排斥したがっているのではなく上からの命令でやむなく行っていたと信じていたんでしょうね。しかし突然独裁者が手のほら返しをしたからといって、そのまま平和が訪れるとは到底思えないんだけど、映画的な結末としてはやっぱり戦争は回避したいよね。