初見は1986年のNHK世界名画劇場。
子どもの頃から時折テレビで放送されていたチャップリン作品には馴染みもあったが、この作品にはとにかく驚愕した。
子どもが観ても映画としても面白く、しかもあのラストの演説に釘付けとなり、観終わった後は、あまりの感動に言葉もなかった。
製作当時、チャップリンはホロコーストの存在を知らなかったという。
「それを知っていたら、とても作れなかった」と語っているのは有名な話だが、逆にそこからもチャップリンの先見の明、時代を見る鋭さを感じる。
「モダン・タイムス」で来るべき機械文明に人間が翻弄される未来を予見したチャップリンは、やがて現実に大量殺戮に突き進む独裁者の危険をはっきり感じ取り、自身のフィールドである映画の力で真っ向から挑んだ。
映画史上、現役の独裁者に対してここまで戦いを挑んだ映画人がいただろうか。
チャップリンが非米活動委員会に睨まれてアメリカを去った、いわゆる赤狩りの直接の犠牲になるきっかけとなったのは「殺人狂時代」だったと思う。
だが私は「殺人狂時代」で見せた戦争批判のメッセージは、結局は「独裁者」の延長にあると思っている。
そう考えるとチャップリンの映画人としての悲劇はやはり「独裁者」から始まったのかもしれない。
この作品は公開当時、批判の声もかなりあったという。私はそれもわからないではない。
これまでのチャップリンの、鋭い映像で見せた風刺の力とは打って変わった延々と続く演説の場面に、むしろ映像表現の衰えを感じた人もいたのかもしれない。
私自身、映画としての完成度は「巴里の女性」「黄金狂時代」「モダン・タイムス」には及ばないかもしれない、という気もしている。
だが繰り返すが、ここまで現実の独裁者に映画の力で戦いを挑み、いまだに語り継がれる作品を作った映画人は、これ以前にもこれ以降も例がないのではないか。
しかも考えてみてほしい。
相手は、かのアドルフ・ヒトラーである。
その後のチャップリンの映画人としての人生は、これまでの功績を考えると、とても不幸な人生になったと思う。
だが私はある意味で、チャップリンはヒトラーと刺し違えたのではないか、と思っている。
映画史上最大の巨人、チャールズ・チャップリンが刺し違えるほどの相手がアドルフ・ヒトラーとは。
決して相手に不足はないではないか。
未来永劫語り継がれるべき、映画史上の名作中の名作だと思う。