チャップリンの独裁者

ちゃっぷりんのどくさいしゃ|The Great Dictator|The Great Dictator

チャップリンの独裁者

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レビューの数

83

平均評点

82.0(465人)

観たひと

772

観たいひと

79

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル コメディ / ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1940
公開年月日 1960/10/22
上映時間 126分
製作会社 ユナイテッド・アーチスツ映画
配給 東和
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

チャールズ・チャップリンの3大名作の1つといわれる「偉大なる独裁者」(原題)がついに日本で公開される。1940年、ヒットラーのナチスがドイツで、ムッソリーニのファシストがイタリアで、それぞれ独裁をなしとげ、その黒い手を世界にのばし始めた頃、そのファシスト独裁者を痛烈に批判し、全世界の人々に自由のために闘うことを呼びかけようと作られたのが、この作品であった。またチャップリンが始めて完全なトーキーを使った作品であり、山高帽・ドタ靴・ステッキ・アヒル歩きのチャップリン・スタイルの最後の作品である。例によって、製作・脚本・台詞・監督・主演はチャップリン自身。撮影はカール・ストラッスとローランド・トセロー。音楽監督はメレディス・ウィルソン。出演はチャップリンがトメニアの独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋との2役に扮するが、バクテリアの独裁者ナパロニにジャック・オーキー、ユダヤ人の美少女ハンナにポーレット・ゴダードが扮しし、そのほか、レジナルド・ガーディナー、ヘンリー・ダニエル、ビリー・ギルバートらの出演。チャップリンの永年の共演者チェスター・コンクリも姿を見せる。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

1918年――第1次世界大戦の末期、トメニア軍陣地では1兵卒であるユダヤ人の床屋(チャーリー・チャップリン)が奮戦していた。しかし、敗色は濃く、前線では敗退がつづき、上層部ではひそかに平和交渉が始められていた。何も知らぬ将兵は勝利を信じて戦った。トメニア軍の空軍将校シュルツ(レジナルド・ガーディナー)は敵に包囲され、危ないところを床屋に救われた。傷ついたシュルツを助けて2人はトメニアに命からがら逃げかえったが、その時すでに戦争には負けていた。床屋は戦傷のためすべての記憶を失い病院に収容された。数年の年月が流れ、トメニアに政変が起こった。その結果ヒンケル(チャーリー・チャップリン)という独裁者が現われ、国民の熱狂的な歓迎を受けた。彼はアーリアン民族の世界制覇を夢み、他民族ことにユダヤ人の迫害を行った。ユダヤ人街のジャッケル(モーリス・モスコヴィッチ)の家族やハンナ(ポーレット・ゴダート)らは、不安な毎日を送っていた。床屋は政変のあったのも知らず、このユダヤ人街の自分の店に戻って来ていた。突撃隊の隊員はユダヤ人街に来ては乱暴した。ハンナはくやしがった。臆病者の床屋も彼女と協力して彼等に抵抗した。ある時、突撃隊に逮捕されかかった床屋を、通りかかった今は突撃隊指揮官になったシュルツが救った。おかげでユダヤ人街にも平和な日々が戻った。ヒンケルは自分の独裁政治をかくすため、国民の関心を外に向けようとオスタリッチ進駐を考え、軍資金をユダヤ人財閥に借款を申し入れたが拒絶された。ユダヤ人迫害が再開された。シュルツはヒンケルの政策の非を進言し、そのせいで失脚した。彼はジャッケルの家に隠れていたが、突撃隊に発見され床屋とともに逮捕された。床屋を慕うハンナは身の危険をさけるためジャッケル氏らとオスタリッチに逃げた。独裁者ナパロニ(ジャック・オーキー)指揮のバクテリア軍もオスタリッチに侵入した。ヒンケルはバクテリア軍を撤退させようと、ナパロニを招き、お互いにオスタリッチの主権を尊重する誓約書に署名させ、撤退に成功した。そのスキに自軍進駐の準備をした。床屋とシュルツは軍服を盗んで収容所を脱出した。国境で進駐準備の軍隊がヒンケルと間違え、進軍を開始した。その頃、ヒンケルは鴨狩中を床屋と間違えられ、警備兵に逮捕された。数万のヒンケル軍はオスタリッチに到着、床屋は演説をしなければならなくなった。壇上に立った床屋は狼狽したが、気持ちを落着けて話しはじめた。“独裁者の奴隷になるな!民主主義を守れ!”彼の声はしだいに熱をおび自由と平和を守ろうと叫んだ。それはオスタリッチのハンナたちにも語りかけているようだった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2020年7月下旬号

読者の映画評:「グレート・ウォー」吉田伴内/「チャップリンの独裁者」原田隆司/「よこがお」関根和俊

2011年1月上旬号

午前十時の映画祭:「ライムライト」「チャップリンの独裁者」「フォロー・ミー」

1973年9月上旬号

グラビア:「チャップリンの独裁者」

特別対談 「チャップリンの独裁者」研究1:「チャップリンの独裁者」について語ろう! 淀川長治×斎藤耕一

分析研究:チャップリンの独裁者

特別対談 「チャップリンの独裁者」研究2:民衆的な政治人間としてのチャップリン

1960年12月下旬号

「チャップリンの独裁者」ヒットの要因:各界アンケート

1960年11月下旬号

外国映画批評:チャップリンの独裁者

1960年10月上旬秋の特別号

外国映画紹介:チャップリンの独裁者

シナリオ:チャップリンの独裁者

1960年9月下旬号

新作グラビア:チャップリンの独裁者

2020/11/12

2020/11/13

90点

購入/DVD 
字幕


殉教者圧巻の演説

チャップリンが観たくなりました。動画配信やビデオ屋に作品がありません。数少ない購入DVDの中に、この作品がありました。

 意味不明の言葉をまくし立てるヒンケルの演説が、手をあげて合図をすると拍手が止まるのは、可笑しいです。美女を見つけてうなり声をあげて顔を近づけていくのは、爆笑しました。また、ペンを取ろうとするとペン差しから抜けずイラつくのも面白いです。側近から持ち上げられ、カーテンに飛び乗るのも楽しいです。その他、挙げればキリはありません。

 ただ、風船の地球儀と戯れる至極の芸や、少しでも相手より上の目線であろうとする椅子の高さの競い合いなどは、笑いの次元を超えて現実そのものと感じます。

 反ナチ闘争の牧師の回想では、ナチスが共産主義者を襲った時不安になったが、自分は共産主義者ではなかったので抵抗しなかった。次いで、学校・新聞・ユダヤ人とナチスは攻撃を加えたが、何もしなかった。そして、ナチスはついに教会を攻撃した。自分はまさに教会の人間であり、そこで初めて抵抗した。しかし、その時にはもはや手遅れであった、と。これは、大半の人の思いではなかったでしょうか。

 人間を愛してきたチャップリンは遠くアメリカにいて、ヒトラーの本質を見抜きました。映画の力を信じて、初めから捨て身で抵抗をしたのです。

 最後の演説は、喜劇王という名声をもかなぐり捨てて、だまされずに戦え、という渾身のスピーチです。その叫びは、世紀が変わっても、戦う相手が違うだけで充分に通用しています。

2020/08/29

100点

テレビ/無料放送/TBS 


初見は‥‥

たしか(ビバ、チャップリン5月)と銘打たれた月曜ロードショーで鑑賞
チャーリーの声を愛川欽也さんが吹き替えていらっしゃいました

クライマックスの演説、原語の凄味は勿論ですが
アニメなどで聴き親しんでいた愛川さんの熱演も、私には忘れられない名演でした

コメディとしても、反戦モノとしても
歴史に残る名作でしょう

2020/07/08

2020/08/22

85点

購入/DVD 


鬼気迫るラストシーン

映画史上名場面である最後の演説は、最初に観た時はチャップリンの気持ちがストレートにセリフに出しているので、映画表現としてはどうなの?と思っていた。

チャップリンの主張は映画なら、映像で含みを持たせる表現をするのが良いわけで、セリフもテーマを連想させる表現をするのが良いのではないかと思う。これを何の含みもないストレートに描いたんじゃあ、稚拙だと捉えられる。

当初の案は違っている。演説の合間にドイツでは行進を止めダンスをする、スペインでは銃殺をやめて抱き合う、日本軍は中国に爆弾のかわりにおもちゃを落とすという場面を入れるつもりだったらしい。

だけどその案はボツにして、チャップリンが延々と観客に向かって演説するという映画表現としてはひねりも暗示もない、いわば一見工夫のない撮り方を採用した。

最初の案を捨てたのは、みんなが戦争を放棄することを映画の中で描くのではなく、現実の世界にいる観客たちがそういう世界を築き上げる、という形にしたかったということだった。

飢えや差別のない世界、雇用や福祉の充実している政治などを訴えるチャップリンのこの映画でのメッセージは今でも色あせない。それはまだ世界がそういう理想の世界ではないからだ。

チャップリンはこの映画で映画表現のうまさを捨ててでも、観客に直に伝わるやり方でこの映画にクライマックスを描いた。

それに当時はアメリカがナチスと対決することに消極的、国民の間でもヒトラーを英雄視するところもあった。だからこそ一見稚拙に思うあの演説はチャップリンに取っては命がけ。

アメリカ国内のナチス信望者がチャーリーを襲うことも考えられるし、ヒトラーがもしこの戦争で勝ったら、それこそ命がない。チャーリーとしても大変な覚悟でこの演説場面を撮った。それを考えると大変な場面でありすごく感銘がもたらされる。

2020/08/13

2020/08/14

100点

VOD/NETFLIX/購入/テレビ 
字幕


終戦を前に見直す

ネタバレ

チャップリンの長編がVODで放映されていて、まずはこの映画を鑑賞した。個人的なことだが、この映画が自分にとっての映画館原体験。日比谷の有楽座で大勢の観客と見た、あの揺れるような劇場の笑いと涙。いまだに映画は劇場で見るべきものと思う。映画が体験するものだという原点となる映画である。

(略)

子供の頃、このラストのメッセージの意味がわからなかった。しかし今、原爆が落ちた日や終戦の日を間近にして思いが変わる。このメッセージを届けるためにチャップリンは命がけでこの映画を作ったのだ。

ドラマの展開も実にうまい。ポーレット・ゴダードもまた美しい。映画評論家の淀川長治さんが神戸でポーレットと真珠を買いに行ったエピソードが何度も語られている。その淀川さんが愛するチャップリンを称して、「最初はチャップリンが怖かった。」と仰っている。この”怖さ”の意味は今ならわかる。チャップリンの映画にはどこか自虐的な部分がある。そしてどこか辛辣でなにかを批判しているようにも見える。ただ、それでもチャップリンがこよなく歴史に名を残すのは”愛”だと思う。

「ハンナ、聞こえるかい?」

あのシーンからもう涙が止めどなく流れる。ユダヤ人を虐げるナチスと逃げ惑う理髪店のチャップリン。彼が戦争のときに救ったシュルツが追いつけられた彼を救うが、シュルツもまた独裁者ヒンケル(ヒトラー)にクビになる。

コミカルなシーンはいずれも刺激的だ。我々がテレビで馴染んだコント55号やドリフターズのギャグはそのままチャップリンから学んでいる。いつの時代でも笑えるギャグばかり。

こうしたドタバタが実にバランスよく描かれているがゆえに、ラストの演説のシーンはこころに染み渡る。サイレント映画時代を凌駕したチャップリンが自分の声、自分の言葉で意志を示すことにこの映画の意味と価値がある。この映画は日本で公開されるまでに時間がかかり、私が見たのはさらにその後、ビバ・チャップリンシリーズで彼の長編映画を回顧する目的で、短編映画と2本立ての上映だった。パンフレットには細かい名場面が所狭しと並べられ、手に取るだけで興奮が抑えられないほどだった。

2020/07/27

2020/07/27

35点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


(録画)1960年キネ旬ベストテン外国映画1位

制作から二十年を経て日本で公開され、その年のキネ旬ベストテン外国映画の一位に。
最後に入れ替わってしまったユダヤ人の床屋が独裁者の演説の嘘を指摘する大演説のシーンがある。
現在ならこのシーンに恐怖を感じる。独裁者に入れ替わった男の扇動も独裁だ。更に、入れ替わっている彼は政権運営は出来まい。反動で独裁が進行するだろうと想像する。
最後までディストピアの物語なのだ。
独裁の恐怖と問題点をコメディにした先見性と勇気は凄い。本作が制作されたアメリカは対独のヨーロッパ戦線への介入は消極的だった国と言う事も、本作制作の意図を想像する。

2020/06/24

2020/07/13

90点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


ギャグも一級品

ラストの奇跡の大演説が映画史上に燦然と輝く名場面であるが、それに劣らず、個々のギャグの切れ味も鋭い。
以下備忘録的に記すと。
①戦場で、高射砲の弾が落ち、弾が回転しながら自分の方向を向いてしまうギャグ。
②飛行機に二人乗りで乗って、さかさまになって飛ぶのだが、重力と反対の動きをするギャグ。
③ヒンケルの演説の後、理容師の街で突撃隊と小競り合いとなるが、そこでハンナのフライパンでパカーンと殴るギャグ。
④そのうえ、間違って理容師の頭を殴って、チャップリンが舗道をふらふらになりながら、ダンスを踊るように歩くギャグ。
⑤ヒンケルが風船地球儀に戯れるギャグ。
⑥そのシーンから息つく暇なく、理容院の「ハンガリー舞曲」になだれ込み、髭そるギャグ。
⑦菓子の中にコインを入れて、当たったら、官邸爆破テロの仕事を選ぶギャグ。焼き菓子を載せた盆を思わず、チャップリンの頭にぶつけてしまうギャグ。
⑧しゃっくりすると、飲み込んだコインがチャリンと音がするギャグ。せき込むとコインが何枚も出てきて、それを何気にポケットに入れて自分のものにするギャグ。
⑨ナポロニの宰相が列車で来て、絨毯の場所に一致しないギャグ。
⑩ライバル国との地位の高さを競う、理容イスをどんどん高くするギャグ。
これ以外にも、数えられないほどのギャグがちりばめられ、それが、今の時代見ても古びていない破壊力のあるすごさ。
また、ヒンケルをただの狂った独裁者という視点だけでなく、風船を割って悲しむ男、ピアノを弾き終わると、孤独に苛まれる男という風に、ヒンケルを多面的に描こうとする姿勢もチャップリンの奥行の深さを感じさせる演出である。
現実世界のチャップリンとヒトラーの数奇な運命や交錯する人間関係の綾など非常に興味深いが、これは、大野裕之著「チャップリンとヒトラー」に詳しく記述してある。
それにしても映画とはいえ、命がけの撮影である。時あたかもヒトラーがフランスを制圧し、パリに入城したその直後、チャップリンは最後の演説シーンに挑むのである。人生のすべてをかけて戦いを挑むのである。芸術が世界を動かす瞬間であり、時代のページをめくる瞬間である。
「ソルジャー!」と強く語りかける演説が耳から離れなくなる。映画は映像で語るべきであり、言葉で語るべきではないという主張があるが、本作は例外である。あの時代、あのぎりぎりの時代を生きた証、戦い抜いた証はもはや映画とか芸術とかという領域すら超えているかもしれないからだ。